過失

入社して2~3年くらい経った頃、結構な人数の会社の人が集まる飲み会が開催された。当然のごとく一次会だけで済むはずもなく、二次会、三次会、と店のハシゴは順調だった。

 

「おい○○。さっきのキャバで女とLINE交換してただろ? どうせお前は女に返事送らないだろうから、俺が代わりに””ジャブ””打っといてやるよ笑」

 

酒の進んだ居酒屋、そう言うが早いか、スマホを奪った当時の主任のおっさんが、俺の静止を振り切ってLINEの画面に文字を打ち込むと、

 

 

『あ』

 

 

の予測変換で、なぜか

 

 

『アナル拡張』

 

 

という文字列が出てきてしまったので、5年経った今でもまだネタにされ続けてる。(なぜ予測変換で””それ””が出てくるのかは謎です。俺には何もわかりません)

 

つい最近、転勤になっていたその主任(今は係長)と久しぶりに会ったら「お?○○、相変わらずアナル拡張してんのか?笑」とか言われて、冷や汗でまぁまぁデカい湖ができた。

 

 

 

どうすれば許されますか?

 

 

 

最後から二番目の真実

大学を卒業してから福岡県に単身引っ越してきて、もうすぐ7年が経とうとしています。

言葉に出してみれば長いけど、感覚的にはすごく短かったような気がします。

 

さて、今日はそんな福岡ぐらしが板についてきた私が、皆さんに『福岡の良いところ』を紹介していきたいと思います!!

 

 

 

★★★ 福岡の良いところ ★★★

・特になし

 

 

 

それでは皆さん、また。

 

 

 

イ……

「これのために生きてる~~~!」

っていうのが特にない。

 

よくアニメとかだと、キャラクターが美味そうにビールをゴクゴクと飲んだ後にこのセリフを言ったりするけど、現実でも酒が好きな人とかはやっぱりそう思うのかな。

あいにく俺は酒が嫌いだから、多分一生わからないだろうけど。

 

その他に思いつくのは……例えば、大切な家族がいるから、そのために頑張って生きなきゃいけない、とか………、他にもなんか色々ありそうだけども。

 

今までの俺といえば、色々なことをなんとなくやり始めては、全部中途半端になって終わってた気がする。

 

絵を描いてみたり、ゲームをちょっとやり込んでみたり、ブログを書いてみたり。

 

じゃあこれらの技術が人より優れているかっていうと、そうじゃないし、かなり低いレベルで停滞している気がする。

 

それに、その物を全部奪われても、今までと変わらない感じで、とりあえず普通に生きていけると思う。

なくなったら生きてけないとか、そういうことはないと思う。

 

ちょっと話が脱線したかも。

 

まあ、俺の人生に何かしらの『色』を付けてくれる物、事、人、力、その他なにかしらの存在がない、っていうのを、とりあえず言いたかったんです。

 

このままだとずっと灰色の毎日が……。いや、灰色も『色』だよな。まぁ、『透明』……っていうか、何も無いというか、そんな感じの日々がずっと続いて、同じような毎日が、で、トボトボ歩き続けて、そしていつか立ち止まって、さて、俺の歩いてきた『道』はどうなってるかな?って頭を120°くらい回転させたら、今まで歩いてきた『痕跡』すらなんにもなくて、とにかくなんにもなくて、びっくりして、目を逸らしたくて、急いで前を向いたら、今まで『道』と思って歩いてきたものが全部、本当に『道』だったのか分からなくて、上手に認識できなくなって、気持ち悪くなって、その場でそのまま体を抱えてうずくまるしかない、みたいな……そういうことになりそうで怖い。

 

 

そんな感じ。

 

 

……

 

 

 

昔々、といってもそんなに昔じゃない。俺は桃の中に入っていた。何でそんな所に入っていたかって?ハハッ、こっちが知りたいくらいだね。『桃』とは本来、「愛」や「慈善」を意味する果物だ。今のは嘘だ。俺が勝手に決めたのさ。桃はどうやら川の上を流れているみたいだ。漫画的擬音をつけるとしたら「どんぶらこ~、どんぶらこ~」が妥当だろうな。ハハッ。そんなこんなをしているうちに、桃は誰かに拾われたようだ。おいおい。中には俺が入ってるんだぜ?まさか切って食べようとか思ってるんじゃないだろうな?だが、俺の嫌な予感は的中した。

修学旅行3

 yhme.hatenablog.jp

yhme.hatenablog.jp

 

これらの続きです。

 

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もともと旅行が好きではない俺は、早速外国(オーストラリア)の洗礼を受けて疲弊していた。

先日のレストランでの一件があってからというもの、出るメシ出るメシ全てが旨くないのである。オーストラリアは昔イギリスの植民地だったらしく、食文化もイギリスと似通ったものがあるらしい。朝メシはホテルで摂ることになったのだが、『フィッシュアンドチップス』とかいう、よく分からないものが出てきた。

味はしなかった。

おまけに水不足のため節水する必要があり、シャワーも時間制限がかけられていた。

海水浴場か?

 

そんなこんなで、今日はケアンズからパースに移動する日である。クラスメイト達と共に、うねうねと飛行機に乗り込む。

 

変な食事を摂ったのにも関わらず、日本~ケアンズ着の飛行機から降り立つ時のような腹痛は起こらなかった。俺の身体といえばいつもこういう感じで、どのタイミングで腹が痛くなるのか分からない。

 

話は変わるが、大学3年の頃の就職活動で地元の銀行に面接を受けに行った時に、朝メシとしてニチレイの『本格炒め炒飯』を食べてから向かったら、銀行のビルの入口で急に腹が痛くなってトイレに篭ることになってしまい、面接に20分遅刻したことがあった。

 

炒飯だけに『痛め(炒め)』ってか。

 

ハハッ。

 

もちろん不採用でした。

 

そんなわけで、ケアンズ発の飛行機の中、クラスメイト達が仲良さそうに会話する音をBGMに、息を潜めて死人みたく目を瞑っていたら、俺の乗った棺桶はいつの間にかパースに到着していた。

 

と、

 

「おわ!」

 

空港に降り立った刹那、俺は叫び声を上げてしまった。

というのも、辺りに一面に、相当な数の『蝿』が飛び交っていたからだ。

 

「う……」

 

手で払っても払っても、蝿が目の前を横切る。

少し目を逸らし、周囲を見回してみた。どこに目を移しても、黒いゴマ粒みたいなものが空間を漂っている。

 

怖い。

 

後で現地のガイドから話があったのだが、今年は気候の関係だかなんだかで、蝿が大量発生しているらしい。しかも初めてのことではなく、こういった蝿の大量発生はたびたび起こっているそうで、しかも発生源が『家畜の糞』とのことだった。家畜の糞から大量に蝿の赤ちゃんが発生し、それが成長して街を飛び回っている……。

 

どうやらここはパースではなく地獄らしい。

 

俺は蝿が入ってこないように、目を細め、口を噤んだ状態で早足に移動する。

 

顔面にバチバチ当たってくる黒い弾丸と格闘していると、空港から目的地の姉妹校に向けて出発するバスが見えてきた。バスに乗り込むなり、やっとこさ蝿の無差別攻撃から逃れられた安堵感からデカめのタメ息が出た。

 

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その後、姉妹校に到着するのだが、ほとんど何をしたか覚えていない。

ほとんど挨拶程度で2~3時間くらい滞在していただけなので、特に書くべきことも無い。

 

とりあえず曖昧な記憶を元に話すなら、オーストラリアは基本的に中高一貫教育なので、姉妹校も中学生くらいの子供と、自分たちと同じくらいの年齢の高校生が、同じキャンパス内で勉強をしていた。

 

俺は英語も話せなければ、日本人とすらマトモにコミュニケーションを取れないような人間だったので、隅っこでブルブル震えることしかできなかったように思う。

 

得られたものは何も無かった。

 

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異文化コミュニケーションを終えた俺は、キャンパスに留まったままのバスの中に乗り込む。

 

ガイドの話によると、これから『動物園』に移動するらしい。

 

聞くところによると、オーストラリアならではの生き物が何種類かいて、日本で生活していたらあまり見ることのできない生き物の、その実物を見るチャンスとのことだった。

 

オーストラリア、といえば……

 

そう、『カンガルー』である。

 

そして、それが100匹くらいいた。

 

多すぎる。

 

あまりにも多すぎるし、当のカンガルー達は檻に入ってるわけでもなく、気を抜くと足で蹴ってしまいそうな距離感で存在していた。

 

カンガルーといえば、常に元気でぴょんぴょん飛び跳ねているようなイメージが俺の頭の中にはあったのだが、当の本人達はというと、日曜日で会社は休みだけども、妻の家事を手伝っても文句を言われるだけなので、ただボーっと居間のテレビでワイドショーを眺めている45歳のオッサン、みたいな出で立ちで地面に寝そべっている。

 

別のベクトルでショックを受けてしまった。

 

その印象が強すぎて、その後に見た変な亀とか、生きてるのか死んでるのか分からないコアラとかが、全然印象に残らなかった。

 

カンガルーって、こんな普遍的なものだったのか?

 

怖い。

 

帰りに場内の物販コーナーに立ち寄った際、商品棚を見ると、『カンガルージャーキー』(カンガルーの肉を干したものです)と書かれた袋が、所狭しと並んでいて、俺は周りをずーっと飛び続けている蝿を手で払いながら、ちょっと感傷的になってしまった。

 

まあ、買いませんでした。

 

不味そうだったので。

 

 

 

 

つづく

思うに忍者にどうして魅力があるのかというと、忍者というものは、まさにスーパーマンであると同時に、あくまで普通の人間でもあるからであり、とりわけANIMEやMANGAではそういう描かれ方をされています。


人間なのだけれど、超人めいてもいると。

 

忍者は普通の人間よりもずっと鍛えられており、精神的にもずっとしなやかで、いかなる状況にも適応できる戦士です。

 

その隠密性ゆえにいかなる罪にも問われず、行きたいところに赴き、投獄されることも非難されることもなく、したいことをする存在なのです。

 

忍者好きにとって、忍者というものは、人間の能力を極限まで鍛え上げた存在に映るようです。

 

忍者のもつミステリアス性やその力を前に、道徳の是非などつまらないものにしか思えないと。

 

忍者が好んで主人公にされるのも、人間の適えうる究極の身体というところが魅力に映るからです。

 

それに忍者は悪役としても魅力的で、闇に潜みミステリアスでカリスマ性があり、同時に妖しくも魅惑的で、恐ろしい存在でもあります。