クソ
=「田舎」である。
俺は山梨県でも静岡寄りの山の中で産まれた。それが全ての失敗だった。
世間では田舎に対するポジティブキャンペーンばかり行われている。
「田舎は美しい自然がある」
「田舎に行くとゆったりした生活が送れる」
「田舎には都会には無い、暖かい人間関係がある」
といった具合で。
全部嘘である。
いや、前半2つはそうなのかもしれないが、最後だけは嘘っぱちもいいとこ。
情報操作である。
田舎で高校3年まで暮らした中で一度も人間を暖かいと思ったことがない。
小学校で1年、中学校で1年、高校で1年間、不登校になったという事実が、それを裏付けているではないか。
近所には自然しかないので、小学校の頃は外で遊んでいればなんとか気も紛れた。
しかしそれも小学校までだ。
中学・高校と、成長していくうちに逃げ場が無くなっていった。
俺の住んでいる地域には中学が1つしかなく、たとえば別の学校の子供と関係を作るなど、人間関係を外に求めることもできなかった。ゲームセンターも娯楽施設もなかったので。
結果として、家でシコシコゲームすることしかできなかった。
ずっと。
外に出れば、道を行く人間、全員が知り合いである。
子供でなくても、大人とは親が知り合いだ。
田舎に「他人」は存在しない。
全員が、俺をどこの子供か知っている。
親の顔を知っている。
俺は外に出ることさえ出来なかった。
友達はいなかった。
不登校になってしばらくはプリントを持ってくるために、クラスの人間が俺の家を訪れた。
それも2ヶ月くらいすれば誰も来なくなった。ずっと対面しないようにしていたし。
そのうち、ちゃんと喋れなくなった。
あまり長い間、声を出さないでいると、喋り方を忘れるのだ。
親ともどう話したらいいか分からず、短い単語だけで会話を済ますようになった。
今でも、「人と目を合わせられない」「会話を続けることができない」「言葉が上手く使えない」という癖が治っていない。
出席日数が足りないため、高校は偏差値30の私立高校に通うしかなかった。
全員がタバコを吸って、全員が夜のコンビニで屯しているような人間達だ。
当然、友達もできず、ほどなくして不登校になった。
大学に受かった時は心底嬉しかった。
「やっとこの地獄から抜け出せるんだ」って。
でも、そんな人間が社会で生きていけるハズがなかったってわけ。
田舎で患った後遺症が今も俺を苦しめている。