ゲーム
大学時代は今ほどTwitterを真剣にやっていなかったし、やる意味も感じる事が出来なかった。ただ、大学の知り合いや興味のある人をフォローしていただけで、呟くのも1ヶ月に1度あるかないか、といった具合だった。
mixiもやっていたけど、そっちも同じような感じ。
その頃の俺の中を占めていた一番大きな部分は、大学の授業終わりに部室でどんなゲームをするかということ。
そして、『ゼルダの伝説25周年シンフォニーオーケストラコンサート』のチケットが1枚、余っていたということだ。
――――――――
カチカチ
『チケットを譲ってくれませんか?』
『ゼルダの伝説コンサートのチケット欲しいです!』
………。
カチカチ
………。
今回、このコンサートのチケットを2枚取ったのは、友人のためだった。
以前、一緒に同じようなゲーム音楽のコンサートを見に行ったことがあって、「今度もまたあるんなら誘ってよ!」と言われていた。
コンサートのチケットを取った後にその友人に報告したら、どうやらその日は別の用事があるということで、断られてしまった。
早く言って欲しかったんだが……。
チケットを持ちながら当てもなく大学内を彷徨う……。
元々大学にも友人は多くない。サークルの数人だけである。
声をかけても、
「いや、あんまり興味ないし遠慮しとく」
「ゲームは好きだけど音楽はそうでもないなぁ……」
という返事が返ってくる。
このまま、このチケットの席を空白にするのか……?
そうやって虚無に飲み込まれようとしていた時、家でなんとなしにmixiを開いたら、
『コンサートのチケットを譲ってください!』
そんな文字列が目に飛び込んできた。
これだ――
………。
mixiで乱立するスレッドには、老若男女が入り乱れていた。
チケットを売る決意をしたとはいえ、知らない人に譲るのは正直言って怖い。郵送は手間がかかるし、そもそも開演の日まで時間が無いし、できれば避けたいところ。やっぱり直接その場で会い、そのままチケットを投げつけて終わりにしたい……
と、
「(女性の投稿者にチケットを渡せば、その後ワンチャンあるんじゃないか?)」
なんて思っちゃった。
それからはもう女性の投稿しか見えないですよね。
俺は童貞だから………
――――――――
すみだトリフォニーホール、その大ホール。
俺はその入り口に立っている。辺りは暗い。昼と夜の公演のうち、俺は夜公演を選んでいた。近くには、ゼルダの伝説シリーズの絵でラッピングされた柱がいくつか立っている。
今回、女性と待ち合わせをした場所だった。
『チケットをお譲りしたいので、個人メッセージでやりとりしませんか』
そう持ちかけた。
『ありがとうございます! いいですよ!』
しばらくして返事が返ってくる。
そこで交わした言葉が、待っている俺の頭に浮かび……
と、
「お待たせしました~♪」
「イ」
想像以上に甲高い声が近くで響いて混乱する。
オタクみたいに俯いて、床のタイルの切れ目を眺めていた目線を上げる……
……めっちゃ可愛い……
クソ可愛かった。
髪は黒くて長いストレート。
長い睫毛が大きい瞳に影を落としている。
というかそもそも、顔がメチャクチャ小さかった。
服装はというと、フリルが多めの白いブラウスに茶色いスカート。
スカートに合わせたのか、肩にかけた小さいバッグも茶色だった。
「アイ、どうも……」
俺の喉からオタクみたいなキモい声が出る。
「○○さんですよね?」
「は、ははい」
母親以外の女性と話すことがほとんど無かったので、ひたすら緊張するし、汗がダラダラと背中を濡らす。
そんな俺の姿を見ても(ちゃんと見ていたかどうかも分からんが)、彼女はあまり気にした様子もなく笑顔を浮かべている。
「……あ!」
彼女が思い出したように声を上げた。
「お金渡さないとですよね、はい」
財布から、本来のチケット代ピッタリの金額を俺に渡してきた。
「あ、はい……こ、これチケットです」
俺は急いでカバンを開け、クリアファイルに入れていたチケットを手渡す。
「ありがとうございます! 行けなかったらどうしようかと思ってたんですよ~」
彼女はチケットを受け取ると、一瞬で笑顔になった。
「私、ちゃんとゲームを買ってたんですけど、その特典でこんなコンサートに行けるなんて知らなくって……気づいたら受付は終わってるし……ゼルダの伝説が好きだし、どうしても行きたくって……」
ちゃんとチケットが貰えて安心したのか、口が回っている。
「そ、そうなんすか、ははヒ」
俺は、出かける前にメリットのシャンプーだけで洗ったゴワゴワの髪の毛をボリボリとかいた。
………。
それから並んで座席に就くまでに話していて分かったのが、彼女がどうやら『売れないアイドル』をやっているらしい、ということだった。
(アイドル、ねぇ……、どおりで普通の人よりは可愛いわけだな)
その時に『アリス○○○』という所属しているアイドルグループの名前も聞いた。今ではハッキリと思い出せないが……。
そんなんでしばらくしたら、座席を照らしていたライトが暗くなってくる。
ライトはステージだけを照らしている。
舞台袖から登場した指揮者が、客に会釈をしながら壇上に立つ。
コンサートの始まりだった。
――――――――
「いや~~~~~ぁ良かったですねぇ! 知ってる曲がたくさんあって、興奮しましたよ~~~! 私、ムジュラの仮面が好きなんですけど、その曲もあって……あ~~~~~~……」
「はは……」
彼女はコンサートの後、かなり興奮しているようだった。
演奏中にちらちらと横を窺っていたら(キモ…)、彼女は流れる音楽に合わせて笑顔になったり、急に手で口を塞いで泣いたりしていた。
一方俺はというと、彼女が知らない曲で首を傾げている時「ヒヒッ…これはねぇ……この作品のこの曲でね……俺がィヒ……好きな曲なんだ……ヒヒヒッ…」とかオタク特有の気持ち悪い知識を披露したりしていた。彼女は「へぇ~」とか言って軽く聞き流していたが……。
帰りは俺と同じJR総武線に乗るというので、駅までの道を並んで歩いている。
足を一歩二歩と交互に動かしている間、俺の頭の中でグルグルと考えが巡る。
「(これメシに誘ってもいいのかな……)」
そう。mixiの女性にばかり目を通していたのも、ワンチャンを狙ってのことだったのだ。
これを、この目的を達成出来る、またとないチャンスだった。
俺の人生で今後何回訪れるか分からない、貴重なチャンス……。
「……」
「……? どうかしました?」
俺は深刻そうな顔を浮かべながら足を止める。
彼女が不思議そうに聞く。
「……」
「?」
「……」
俺は……
……
「いや、何でもない……」
「……? そうですか……?」
怪訝そうに首を傾げる彼女。
ダメだ。
ダメ。
俺じゃダメ。
俺みたいな気持ち悪い男、今の服装も高校の時に買ってから何年になる?
髪の毛だってリンスすら使っていないからボサボサだ。散髪だって、一週間前に1,000円でしてもらった。
……なにより。
人と話すのが苦手で、とりわけ女性と話す事なんて、こんな時に、こんな手段を取らないとできないんだ。
チケットをダシにして女性を物色していたんだ。
気持ち悪い……
あわせる顔が無い……
……
「……じゃあ……俺は御茶ノ水方面だから……」
「そうですか」
千葉方面のホームへ向かう彼女が、遠目から俺に手を振ってくる。
「……」
俺も手を振り返す。
ホームに電車が入る。
ドアが開いた。
座席は空いていない。
「……う」
会場の演出用ライトの明滅にあてられたのか、頭が痛い。
吊り革に体重を預ける。
今日は帰ったらすぐに寝よう……。
――――――――
しばらく経つ。
その後、彼女はmixiからいなくなっていた。
どうやら退会したらしい。
彼女が所属しているアイドルグループのホームページも見てみたが、コンサートの後、数日で解散発表を出していた。
解散理由は身内の誰かが活動に背くような事をしたらしい。詳しくは書いていなかった。
綺麗な顔だったが、今ではまったく思い出せない。
それにしても。
俺にすら顔を覚えて貰えないなんて、やっぱりアイドルとしての才能が無かったんだろうな、とか。
そんなこと思ったりした。