逃走

俺が所属する九州の事業所内で大きい仕事があり、東京の本社の方から応援として、30代後半くらいの係長がしばらく九州に滞在することになった。

 

広島弁を話す彼は、とにかく仕事に一生を捧げているような人間であった。すぐに俺は圧倒されてしまった。仕事の為ならいくらでも残業できるし、その後の飲み会でも2次会・3次会は当たり前、翌日が朝8時出勤だとしても午前4時まで店で酒を飲んでいる。かと思えば翌日は7時30分には出勤してきて、涼しい顔をしつつまたバリバリと仕事をこなすのだった。

そんな感じで日々は過ぎ、大きな仕事も一段落つき、職場の人間みんなで飲み会をしようという話になった。

あとはいつもの流れで1次会……2次会……と進んでいき、最初の頃は大勢いた参加者も、次第に少なくなっていった。

 

2次会終了後、カバンを背負いながら「さ、俺も帰ろうかな」と気持ちを整えていたら、後ろから当時の俺の上司が肩を掴んできた。

上司の笑顔。

「この後さ、川内さん(応援で来ている係長)とサシで飲みに行くんだけど、もちろんお前も来るよな?」

「え?」

絶対に長くなって帰れなくなる流れじゃないか……?

「おい、にしやん(西原。俺の上司の名前です)。後輩の教育がなっとらんなぁ? こういう時は『はい! おともします!』って元気に返事するもんだろ? どうなってんだ? お前の後輩は」

「ははは笑、すんません。ちゃんと後で言い聞かせますんで!」

え~~~……

川内さんは俺の方を向く。「で、お前はここで『どう答えればいい』んだ?」

「………………」

 

俺は目を瞑って祈る。

 

「…………行きます」

 

どうか無事でありますように……。

 

 

――――――――

 

 

「……にしやん、店はまだか?」

「もうちょっとですよ川内さん。ライオンの銅像が目印ですから」

2人は肩を並べながら、豚骨の臭いが漂う夜の街を闊歩している。

この2人が仲の良いのには理由があった。歳が30代後半と近いのもあるのだが、数年前に本社で一緒に働いた経験があり、それに加えてどちらも酒と酒の席が大好物だったのである。仕事がある日もない日も関係なしに、2人して何軒も居酒屋をハシゴしていたらしい。

俺が1番苦手なタイプだった。

 

「着きましたよ! ここの2階です!」

「ほぉ~、確かにライオンの像がおるわ笑」

川内さんは像をペシペシと叩く。

「ここの3階です」

西原さんがエレベーターに誘導する。

 

クラブやスナックが所狭しと入居するビル。コンクリート造りのマンションを思わせる通路に、小さく看板が掲げられた店が並んでいる。こういったビルによくある形で、店の中の様子は一切分からない。聞こえてくるのは、古くさい演歌?歌謡曲?を男性客が熱唱するのが小さく響く音だけだけである。

 

通路を歩いていくと、どうやら目当ての店に着いたようだった。まず店内に入るのは西原さん。店員に、席が空いてるかどうか、女の子は何人付けられるかどうかを聞いているようだった。俺は店の看板に目を向ける。

 

『國』

 

「くに」か……?と思ったら、下に「○キ」と書いてあった。由来は見当もつかなかった。(一応伏せます)

 

「川内さん! 開いてるみたいなんでどうぞ!」

中から西原さんの声が聞こえる。大股で入っていく川内さんの後ろで、俺は恐る恐る入店する。

 

「いらっしゃいませ~」

ママとおぼしき年齢の女性が挨拶する。俺達は奥のボックス席に案内されるらしい。店内は12畳くらいの広さだった。

俺達が全員着席すると、女の子が来て、飲み物は何にしますか?と聞いてきた。上司の目もあるので、さすがに『ウーロン茶!!』とは言えず、焼酎の水割りを頼む。個人的にビールよりはマシである。

 

飲み物が出そろうと、1人に1人づつ、女の子が着いた。合計3人。

1人1人眺めていると、奇妙な違和感があった。

(全員、かなり可愛くないか……?)

そう、さっきの飲み物の注文を受けに来た女の子からして、全員の顔面偏差値がかなり高いことに気が付いた。普通、こういう店では1人ぐらいは「アタシは顔じゃなくて喋りが本業だから!」みたいな、救えない女の子がいるハズなのだが……。

 

「名刺です、よろしくお願いしますぅ」

 

そういって隣に着いた女の子から名刺を渡される。それを見ると、

 

『会員制クラブ』

 

(………?)

 

 

(………!)

 

ビビった。道理で女の子のレベルが高いハズである。

こういう店の中では一番料金設定が高い『クラブ』な上に、ご丁寧に『会員制』という文字まで付いている。

 

「(ちょ……西原さん! 俺、そんなにお金持ってないですよ!)」

 

俺はたまらず、西原さんに小声で話しかける。どんな金額を請求されるか分かったもんじゃなかった。

 

「(バカかお前は……川内さんの奢りだよ、奢り! それに、そんなに金額張るわけじゃないから!)」

 

西原さんは半笑いで答える。

いいのか……?

川内さんの財布の中身がどうなっているかは分からないけど、少なくとも、無事では済まなさそうである。

とはいえ、俺は「入っちゃったもんだし、しょうがないか……」みたいな気持ちに切り替えることにした。考えても仕方がない……考えても……。

 

 

――――――――

 

 

元々酒が好きというわけでは無かったので、焼酎の水割りは、どこの居酒屋にもあるような味だった。

会員制クラブだからといって、高いお酒が出る訳ではないのかもしれない。

 

俺の隣に座った女の子の顔は、今では全然思い出せない。

確かに可愛かったという記憶はある。でも、こういう店の女の子はみんな同じようなメイク、服装をしている。

おまけに女の子の顔を今の今までじっくり見たことが無かったので、顔を覚えることができない。白人が、日本人と中国人と韓国人の見分けがつかないみたいに……。

 

「○○さんはぁ……趣味とかってあるんですか?」

「……趣味」

 

ツイッターです!!!!!)とか言えるわけもないので、適当に「漫画を読むことですかね……」とか言って誤魔化す。

 

「へぇ~~~~どんな漫画ですか?」

「………」

 

来た来た……。

 

「あ……あ……」

「?」

 

俺は今読んでいる漫画の中で、一番無難そうなものを頭の中で探す。

気持ち悪いオタクが好きそうな漫画しか読んでないから、こういう時に苦労する。

隣の席を見ると、西原さんと川内さんが、お互いのことを冗談めかして貶し合い、女の子2人もそれに合わせて「えぇ~そうなんですかぁ~笑」「おかしぃ~~笑」と手を叩いて笑っている。

 

「え~~~~~~~と」

「……?」

「こ……『聲の形』……ですかねぇ」

「え? なんですか、それ」

 

嘘は付けないので、本当に今読んでいる漫画の中で選んだ。

1、2巻しか読んでいない漫画や、内容を聞きかじっただけの漫画を出すと、墓穴を掘ることになる。オタクなので、現状出ている全巻を読んだ漫画を話題に出さないと気が済まないのである。

 

「え~~……耳が聞こえない女の子が出てきて、それがなんか色々ある漫画なんですよ」

 

その割には内容を伝えるのが下手だった。

あまりに詳細に語ってしまうと『こいつオタクか?』と勘ぐられてしまう。それを怖れた結果だ。

オタクは気持ち悪いものなんだから、そういった存在であることを隠していたい。だけども、好きなものは『それ』しかないので、それについて喋るしかない。精神に負担がかかっていく。

 

「へぇ~~……あんまり面白くなさそうですね」

「………はは」

 

苦しかった。

 

 

――――――――

 

 

そんなこんなで一時間くらい居座った後、店のママから『そろそろ時間ですよ』と伝えられた。

 

「あ~~なんか飲み足りんわ……」

「そうですねぇ~~、もう一軒、行きますか!?」

 

川内さんと西原さんはそんなことを話している。話を聞いていると、どうやら俺もまだ連れ回されるらしい。

腕時計は1時を回っている。

ママがお会計の紙を持ってきてくれたが、真っ先に川内さんが受け取ったので値段は見えなかった。

俺は「いくらですかね?」と言いながら、財布からお金を出す『フリ』をする。この『フリ』が重要で、実際に払う気はサラサラなくてもそういった仕草をしなければ、後で「お前なぁ」から始まる説教を西原さんから受ける事になる。飲み会での【作法】だった。

当然、俺は押しとどめられ、川内さんが全額払うことになった。酔って気が大きくなっているのか、気前の良い払いっぷりである。

 

「なぁ、かほちゃん(仮名)」

「はい?」

 

会計を済ませて椅子に腰掛ける川内さんは、さっきまで自分に付いていた女の子に声をかける。

 

「この後、付き合ってくれるか?」

「え~~~~~~……いいですよ」

 

いいのか?

 

と思ったけど、こういうことは割とあるらしい。俺は女の子を店の外に連れ出すということ自体、異常事態に感じていたのだが、【アフター】といって、プライベートで飲み屋に連れて行ったりという行為ができるのである。もちろん、合意があってのことだが……。

俺には一生出来ないな、と思った。

 

かほちゃん(仮名)は店の奥に消えていき、戻ってきた時にはジーパンにフリル付きのブラウスみたいな服装で出てきた。

ドレス姿ではないクラブの女の子を初めて見たのだが、顔は可愛いけど、普通にそこらに居そうな感じだった。

今まで駅とかですれちがってきた女の子も、夜になるとこういう仕事で酒臭いオッサンと話しているんだ、と思ったら悲しくなってしまった。

なんで悲しいんだろ。

 

そんなことを考えながら店を出た。

 

 

――――――――

 

 

「なんかすごいな、これ」

 

エレベーターを待つ途中、川内さんが周りを見渡しながら言う。

来る時には全く気づかなかったのだが、見回してみると周囲が異様な雰囲気に包まれていた。

 

というのも、一切知らない婆さんの顔がバカデカく印刷された昇り旗やポスターといった類が、壁という壁に貼られていた。

その1枚に目を通してみると、

 

【HAPPY BIRTHDAY】

 

という文字が書いてあった。

 

「ああ、それですか」

 

かほちゃん(仮名)が、呆れたような顔をして答えた。

 

「今日がですね、『ラン○ヴー』のママの誕生日なんですよ……あのババアが……趣味悪いですよね、あはは」

 

どうやら、このビルのどこかの店のママが今日で誕生日を迎えていて、それを祝してパーティーやらなにやらが行われているらしかった。

 

「裏にヤクザがいるらしくて……それで誰も逆らえないんですよ。この前も、ウチの店の女の子が喧嘩を売られて大変だったんです。噂だと、以前あのママと言い争いをした店のママが監禁されたとか……」

「ふ~ん、いまどき小倉にもそんなん居るんやね。広島でも見かけなくなったのにな」

川内さんは、意外とあっさりとした反応を見せただけだった。

 

俺はというと『住んでいる街の近くに、こんなところがあったのかよ……』と思い、戦々恐々状態である。ドラマかよ。

 

『ピンポーン』

 

エレベーターが到着した。

 

ガーーー。

 

扉が開く。

 

すると

 

「!?」

 

「………」

 

ポスターに印刷されている顔が目の前にいた。

 

「え?」

 

「どけや」

 

「あ、」

 

「どけ言うちょるやろガキが!!!!!」

 

婆さんが凄い剣幕で怒鳴ってきた。

 

「おわーーー!」

 

ビックリして後ずさる俺。

 

その婆さんは、真っ赤な和服を着てエレベーターの真ん中に立ち、左右に店の人間と思われるドレス姿の女の子を侍らせている。異様な光景だった。

 

「あ……?」

 

尻餅をつきそうな勢いの俺と対照的に、一切微動だにしていない人間がいた。

 

川内さんである。

 

「なんやガキ」

婆さんが川内さんを睨み付ける。

 

「ガキ?」

川内さんは、スーツのズボンのポケットに手を突っ込みながら睨み返す。

 

「退くのはお前やろ、ババア」

「あ?」

 

婆さんの顔がみるみる赤くなっていく。

 

「ちょ……ちょっと、ダメですよ川内さん」

西原さんが川内さんの肩を掴む。

「す、すいません、いま階段で降りますから」

かほちゃん(仮名)も、川内さんの腕を掴んで階段に誘導する。

 

すると婆さんの顔が、かほちゃん(仮名)の方を向いた。

「お前、國んとこの女か? 客の躾はちゃんとしとけや!!」

怒鳴る婆さん。

すると、

 

「躾がなってないのはお前やないんか、ババア」

 

川内さんが、腕を引かれながら言い放った。

これがいけなかった。

 

「殺……殺●▲□×♨ーーーーーー!!!!!!!!!」

 

婆さんが、持っていた傘を振り上げながら、エレベーターから駆け出てきた。

 

「ヤバイですってヤバイですって!!」

 

俺と西原さんと女の子は、川内さんを引っ張りながら階段を下りていく。

知らない間に雨が降っていたのか、道路はネオンに照らされてキラキラと光っていた。

あちこちに出来る水たまりを気にせず、走って逃げる。

 

「逃げろ逃げろ!!!」

 

西原さんが叫ぶ。

 

後ろを見ると、婆さんがまだ追ってきていた。

 

「クソ國の女が、殺してやる!!!! 待てやーーーーー!!!!!」

 

雑踏の中に、ひときわ甲高い声が響く。

川内さんはニヤニヤ笑いながら、俺達に手を引かれるままになっていた。

 

 

――――――――

 

 

「川内さん、アレはマズかったですよ」

「いや、あのババアが喧嘩売ってきたのが悪いだろ」

 

追尾を振り払って、少し離れた所にあるオカマバーにいる。

この店は、かほちゃん(仮名)の知り合いの店らしかった。店内には俺達以外に誰もいない。

 

「頭がおかしいんですよ、あのママ。関わらない方がいいですよ」

かほちゃん(仮名)は諭すような口調だった。

 

俺はというと『これ本当に現実か?』という気持ちだった。ドラマじゃん。

 

「とりあえず飲み直しですね」

西原さんは言う。

 

オカマバーのマスターが「何にします?」と俺に聞いてきた。

 

「……ウーロン茶で」

 

もう酒を飲む気にはなれなかった。

 

 

 

おわり