部活

「○○くん……、日曜日の午後2時に、シティホール○○に来てほしいんだけど……」

携帯電話の向こう側から声がする。

吹奏楽部の圭子先輩(仮名)の声だ。

 

「……」

 

俺は戸惑っていた。

学校を休んで自宅のベッドで寝転んでいると、普段鳴らない携帯電話が急に音を立てて動き始めたからだ。

圭子先輩もそうだが、入部した時にみんなに教えた俺の電話番号には、ほとんど誰からも電話がかかってこなかった。母親以外は。

 

なぜ今になってそんな連絡を圭子先輩がしてきたのか分からない。

 

「それで……、大丈夫? 来れる?」

俺に返事を求める。

「あの、その前に、何があったのか聞きたいんですが……」

そもそも、何のために俺がそのシティホール○○とかいう場所に行かなければならないのか。

 

「その……」

「……」

先輩の返事を待つ。

 

「3年の……滝口先輩がね、交通事故で亡くなったんだよ」

 

「……え?」

 

「だからね、それを見送るために、みんなで演奏しようってことになったのね。○○くんも、まだ部の一員だから、やっぱり出てほしくて……」

 

「……」

 

………

 

――――――――

 

シティホール○○は、俺が通っている高校と同じ市の、少し栄えた街の中にあった。

市の中心を通るバイパス沿いに位置していて、数年前に建ったばかりだ、という話を母親から聞いた。

最近は自分の家で葬儀を行う家庭も少なくなり、こういったシティホールでパッケージ化された葬儀プランを選ぶことが多いらしい。

6階建てくらいのビルで、正面にはちょっと高級なホテルにあるような、屋根付きの車寄せエントランスが構えられている。

入り口を抜け、エレベーターまで向かうと、同じ種類の看板が2つ立ててあった。

 

一つは『滝口家葬儀会場 ○階』

もう一つには『山口家葬儀会場 ×階』

 

どうやら滝口先輩の葬儀とはまた別の、他の誰かの葬儀も、別の階で行われているらしい。

 

ふとエレベーターのドアが開くと、見知らぬ学校の制服を着た女の子が数人降りてきた。

×階の『山口家葬儀会場』から出てきたのだろうか。

ちらっと目をやると、一人泣きじゃくる女の子を、他の子が必死に慰めているらしい。

俺は気まずくなり、女の子達とはなるべく目を合わせずに、そそくさとエレベーターに乗り込んだ。

看板に書かれていた『滝口家葬儀会場』の階のボタンを押す。

 

ドアが閉まる。

 

女の子の泣き声が、まだ聞こえるような気がした。

 

――――――――

 

滝口先輩は、俺が所属している吹奏楽部の部長だった。

背は180cmくらいあり、部の中では一番大きかったので、外見からいかにも『部長』という貫禄のある人だった。

 

俺が部活に入って間もない頃……。

 

「とりあえず余っていたから」という理由だけでトロンボーンの担当になり、ひとまず音『だけ』は安定して出せるようになったかなという時、『部員全員参加』の演奏会を町内のイベントで実施することが決定した。

 

素人同然の俺も、顧問の先生の「場数を踏まなきゃ上手くならないだろ」という方針のもと、強制参加という運びになったのだった。

 

当然、それに向けていつも以上に力を入れて練習をすることになるのだが、楽譜自体にも生まれて初めて見るような記号が使われているし(トロンボーンは音が低いのでト音記号の音域ではなく、ヘ音記号の音域で演奏をする)、そもそもトロンボーンは管の伸縮で音程が変わるので、その管の””音程の位置””を覚えるのもかなり苦労する。

 

そんな風に悪戦苦闘するうちに、とうとう演奏会の前日になってしまった。

 

何も身につけられないままの俺はいてもたってもいられなくて、放課後の練習が終わった後、自分の思っていることを部長である滝口先輩に打ち明けた。

「あの……」

「なに?」

「すみません。滝口先輩。自分、やっぱり演奏会、ちゃんと出来そうにないです……。いくら練習しても同じような所でつまづくし、これ以上上手くなれそうもないです。こんな状態で、人前に出たくありません……」

俺も頭の中では『本番の前日に何を言ってんだよ、馬鹿かコイツは』と自分で自分を罵ったりしていた。でもそれ以上に、人前で恥をかくのが、とにかく怖かった。

俺の目からは、流したくもない涙が流れてくる。

「なるほどな……」

それを聞いた滝口先輩は、そうとだけ呟くと、今度は目を瞑って何かを考えているようだった。

「○○」

「はい」

怒られるのか、とビクビクする。

「そんなの関係なくないか?」

滝口先輩は笑いながら言った。

「え、でも……」

「大丈夫だから。お前一人の演奏なんて、イベントじゃ誰も聴いてないよ」

「そうなんですか……?」

「そう。譜面をちゃんと演奏できるか、とか、失敗する、とか別に大した問題じゃないよ。一番重要なのは、『その場に部員として参加する』ってことだから」

「……」

先輩は俺の背中をひときわ強く叩く。

 

「だから、一緒に演奏しようぜ」

 

――――――――

 

そんなことを思い出しながら、今は真っ白になってしまった滝口先輩の顔を見つめていた。

 

「……」

 

滝口先輩は、父親の運転する車に乗って市内のスーパーマーケットに向かっている最中、交差点で信号無視をして走ってきた車に追突されたらしい。

助手席に乗っていた先輩は、左から走ってくる車に潰された。

事故当時は顔面の半分が無くなっていたそうだが、棺桶の中に横たわる先輩の顔は、見たところかなり綺麗になっている。どういう技術かは分からない……。

 

じっ、と先輩の顔を見ていても、特に何の感情も湧いてこなかった。

入部当初は気にかけてもらっていたが、俺が幽霊部員になり学校も休みがちになると、顔を合わせることもほとんど無くなった。

深く付き合っていたわけじゃないからか……、自分でも分からない。

 

先に焼香を済ませた圭子先輩が、棺桶が置かれた部屋の出口で泣いてるのが見えた。

ひとまず焼香を済ませた俺は、その横をすり抜けようと歩みを進める。

 

が、

 

「(あれ……?)」

 

なぜか急に、視界がぼやけてきた。

 

「(え?)」

 

瞬きをすると、世界がどんどん歪んでいく。

どうやら、目から涙が流れているらしい。

 

「(あれ、泣いてんのか? コレ……)」

 

自分でも、何で涙が出てきたのか分からない。

 

よく分からなかった。

 

――――――――

 

翌日、滝口先輩の入った棺桶をシティホールから火葬場に移動させる『告別式』があるという話だった。

 

「告別式には楽器を持ってきてね。○○くんは、トロンボーンを持って、時間は◯◯時だからね」

 

圭子先輩から、昨日葬儀場から帰る際にそう伝えられていた。

俺は家から引っ張り出してきたトロンボーンを、一度チェックで開けてみた。ちゃんと手入れをしていないからか、少し唾液の臭いがするような気がした。

 

さて、シティホールに部員全員が集合したら、本番前に一度、顧問の先生の指揮でリハーサルをすることになっていた。『リハーサル』という行為自体、幽霊部員になって以来久しぶりなので、無駄に緊張してしまう。

必死に周りに合わせようとするが、相変わらず上手く演奏できない。

 

「……」

 

でも、ちゃんと演奏できなくていい。

雰囲気が重要なんだから……。

 

リハーサルが終わると、周りに人が集まってきて、少しざわざわしてきた。

もうすぐシティホールの入り口に霊柩車がやってくるらしい。そこで滝口先輩の棺桶を乗せて、それから火葬場へ直行するそうだ。

周りの部員を見ても、もう泣いている人はいない。

みんな真剣そうな顔で、最後の楽器チェックや譜面チェックをしている。

 

すると、それっぽい車が車寄せエントランスに入ってきた。

 

「じゃあいくぞ」

 

顧問の先生が腕を上げる。

 

「ワン・ツー……」

 

俺のトロンボーンからは、やっぱり調子外れの音が出てしまった。