Do Or Die

『いや、遠慮します』

そう言ったのが最後で、全ての””チャンス””を自分の手で閉ざしてしまった感じがある。

 

 

その日は金曜日の夕方、いつも通りグラウンドでの練習を終えて、校舎に戻る最中だった。

 

俺は高校時代は吹奏楽部に所属していたのだが、音楽室で合同演奏を行う前に、楽器のメンテナンスや苦手なパートの練習も兼ねて、学校のグラウンドで各々が楽器を吹くという時間があった。

吹奏楽部では、入部する時の成り行きでトロンボーンを吹いていて、その日も読めない楽譜に必死で数字を振りながら、それが間違っていないか耳で確認する作業をしていた。

これはどういうことかというと、トロンボーンという楽器の、『管の長さで音程を調整する』という特徴によるものだ。

レの位置だとこれくらい管(「スライド管」という)を伸ばす、ファの位置だとこれくらいという具合で、だいたいの伸ばす位置が決まっている。

この位置を数字に置き換えて、楽譜の音符ごとにその数字を打っていくのである。

なので、自分の楽譜には音符ごとに数字が書き込まれて暗号みたいになっていた。

楽譜が読めるようになっていればこのような作業は必要ないのだが……。

 

というわけで、今日もその作業だけで練習時間を丸々使ってしまった。

 

進展したのかしてないのか、よくわからないまま校舎に戻っていたのだが、その時俺の前を歩いていた圭子先輩(仮名)が俺に声をかけてきた。

 

「〇〇くん、ちょっといい?」

「え、はい」

 

圭子先輩は俺の1個上の学年の先輩で、俺と同じでトロンボーンを担当していた。

当然俺よりも上手いし、実を言うと俺がトロンボーンを吹けるようになったのも、圭子先輩に練習を見てもらったからだ。

小さい吹奏楽部だったので、トロンボーンの担当は俺を含めて4人しかおらず、うち2人は3年生だった。そこで半ば自動的に一学年上の圭子先輩が俺の面倒を見ることになったのだった。

 

俺と圭子先輩が向き合っているのを横目に、他の吹奏楽部員が通り過ぎていく。

 

「今日、金曜日だから明後日の日曜日は休みだよね?」

「はい」

「なにか予定ある?」

「え……」

 

どうゆうことなんだろう。

 

「いや、特にないですけど……」

「じゃあさ」

 

ドキドキ

 

「日曜日にカラオケにでも行かない?」

「えっ!カラオケですか」

 

マジか……

 

というのも、生まれて一度も『カラオケ』というものに行ったことがなかったからだ。

俺の実家はかなりの田舎で、家の周りには娯楽施設と呼べるものはほとんどない。小学校も中学校も歩きで通える位置にあり、その範囲でしか生活していなかった。

高校はそうもいかず、少し離れた街の中にあったため、周囲はそこそこ栄えていた。もちろんカラオケもある。

 

でも、自分がまさか「そこ」に誘われるとは思っていなかった。

 

縁のない場所。

俺とは遠い場所。

 

「……」

「どう?」

 

いや、行くとか以前に……

 

「あの、」

「うん」

「2人で、ですか?」

 

今思えば、めちゃくちゃ気持ち悪い質問だったと思う。

おこがましいだろ。お前は。

 

「え……」

「……」

 

そう言うと先輩は少し意外そうな顔をして。

 

「そんなわけないよ、他のトロンボーン組の人たちと一緒だよ」

「あ…………そうなんですか」

 

俺はその時点で自分が失礼な質問をしてしまったと気づいた。

一緒に行く人間で返事を決めるのか、と。

 

そういうことを考えると、俺は「人付き合いに慣れていないな」と、嫌でも感じてしまう。

 

なんだか頭がこんがらがってきた。

 

「で、行く?行かない?」

「あ、え~~~~と、え~~~~~~~~そうですね」

 

変な質問をしてしまったのもあって、嫌な汗も出てきた。

 

「……」

「……」

 

………

 

「いや、遠慮します」

「……………わかった。けど、どうして?嫌?」

「いや、あの」

 

………

 

「自分、あの、歌も、分からないし、歌ったことないし……上手くないし……」

「……」

「迷惑、かけるので……」

「……わかった」

 

………

 

 

────────

 

 

俺が中学時代に不登校だったことは吹奏楽部のほぼ全員が知っている。

吹奏楽部の顧問の先生が俺が入部する時に

 

「○○は中学時代、ちょっと周りと馴染めてなかったみたいで苦労したんだ」

「仲良くしてやってくれ」

 

そう部員に言っていたそうで、俺にもなんとなく伝わってきた。

 

俺が吹奏楽部自体に入部することになったのも、顧問の先生が入学したばかりの俺を見つけて「俺が面倒を見る」と、半ば強制的に連れ込まれたからだった。

 

でも、そうやって、そういう環境の中で部活をやっていても、結局は馴染めないんだよな。

 

環境というより、

 

俺だから。俺が。

 

カラオケを断ったのも、常に人に対して『引け目』みたいなのを感じていたからだと思う。

俺がいてもみんなが楽しめない、とか。

みんなが知っているような歌が歌えないから、とか。

迷惑だから、とか。

 

でもそういうのは、根性なしの言い訳なんだ。

 

本当は恵まれていたのに。

 

機会に。

 

 

 

………

 

 

 

2年になった俺は、新入生が入ってくるよりも早く、

逃げるようにまた学校を休むようになった。

 

 

嫌になったから。

 

 

全部が。