修学旅行2

 

yhme.hatenablog.jp

 

これの続きです。

 

―――――――――――――――

 

飛行機を降りてから一悶着(自分との)があった後、修学旅行の一行はバスに乗って移動する。

今日はケアンズにあるホテルに宿泊し、翌日また飛行機に乗って、旅行の目的地であるパースに向かう予定になっていた。なぜそういう旅程なっていたのかは分からない。日本を朝に出発したから、明るいうちにパースに着くことは出来ないという理由からかもしれない。

 

バスで移動している時は、延々と窓の外を眺めていた。確かに外国という事もあってか、見慣れない風景が広がっている。でもそれは日本国内でも同じことで、新しい場所に行けば新しい光景が広がっているはずで、特に驚くことではない。

普段から家を出ないので、どこに行っても新しい風景なのは当たり前だった。特に感動もなかった。

 

しばらく揺られていると、バスはどんどん街中に入っていく。

 

それはそうと、オーストラリアは日本と同じで車道は左側通行らしい。外国というんだから、てっきり右側通行だと思っていた俺は落胆した。日本と同じじゃんって。

 

そんな事を考えていたら、バスがホテルらしき建物の前に止まった。ここが今日泊まる予定のホテルだった。結構小さいホテルだったような気がする。うちの生徒が全員泊まったら、全室埋まってしまうんじゃないか、というくらいで……。

 

「各自の部屋割りは聞いたな! 荷物を置いて、6時になったらまたこのロビーに集合だぞ!!」

 

そんなに声を張り上げなくても全員に聞こえるだろう、というくらいの大音量で担任が叫ぶ。

俺は今日泊まる予定の部屋に向かう。1つの部屋に5~6人程度が寝泊まりするという形になっており、ベッドも泊まる人間と同じ数だけ置いてあった。

どのベッドで寝るかは部屋の人間がそれぞれ決めるようになっていて、当然のように俺は、入り口の近く、一番寝心地の悪そうな場所を割り当てられてしまった。校内ヒエラルキーの最底辺にいるので妥当なところである。ベッドの上に荷物を置いて、赤ちゃんみたいに部屋の設備やらなんやらを確認していたら、もう時計は6時近くになっていた。

 

ホテル内には夕食をとるような場所はなく、全員が6時に集合したのも、近くのレストランで食事をするためである。

 

レストランはお世辞にも綺麗とはいえなかった。食事をする所は外にあり、所々黒く汚れているアウトドア用のテーブルが並べて置かれている。

 

「じゃあ今からメシを配るからな~~~! 各テーブルごとに取りに来いよ~~~!」

 

また担任の無駄に大きい声が響いてくる。

 

(?)

 

というか、こういうのはウエイターが運んでくれるんじゃないのか?という素朴な疑問が頭に浮かんだが、それも束の間、俺はその渡された料理に圧倒されてしまった。

 

 

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「はい、これ」

 

(……?)

 

皿の上に1枚、乾いたステーキが置かれている。

 

「……」

 

俺は釈然としないまま、乾いた肉を持ってフラフラと自分の席に戻る。

 

「……」

 

とりあえず、一口大にナイフで肉塊を刻み、口に含む。

パサパサとした繊維質の肉が、口の中の水分を吸収してニチニチと音を立てる。

ほとんど味もしない。

 

……

 

この時に思った。

 

やっぱり日本のごはんが、世界で一番美味いってこと……。

 

 

 

 

つづく

小学生低学年の頃は今と違ってゲーム機も持ってなかったし、外で遊びまくってた。

 

昔は家の前に花壇があって、そこにサルビアが咲いていたのでその蜜をひたすら吸ったりしてた。今は親が年を取り、世話をするのが大変になったみたいで、緑色の雑草だけが一面に生い茂ってる。

 

近所に駄菓子屋があったので、そこで母親からせびった小遣いで、当たり付きのきなこ餅(爪楊枝に刺してあって、先の方が赤く塗られていたらもう1本貰える)を無限に食べたりした。俺が中学生になる頃には店主の婆さんが病気にかかったらしく、一年中電気がつかなくなった。今ではその店も取り壊されて、車が4台ほど停まれる駐車場になっている。

 

自転車を買ってもらった時には、家からどこまで離れた場所に行けるのかを試したくて、死ぬほど漕いで全く知らない場所まで来たのは良いものの、いきなり辺りが暗くなってきて、大声で泣きながらなんとかかんとか家まで帰ったら、「こんな時間までどこをほっつき歩いてたの!!」つって、母親に頭を殴られるわ、父親からは頬に張り手を喰らうわで散々だった。今の俺なら、疲れることもなく歩いていける距離だった。

 

学校から帰る途中に、一軒の家があった。

担任の先生の家だった。

玄関から見える位置にある部屋には、その担任の母親と思われる婆さんが座っている。

いつ見ても同じ位置に座っているので、俺も目を合わせたら「おはようございます」とか「さようなら」といった挨拶をしたり、婆さんがくれるお菓子を貰ったりしていた。

婆さんはよく、その部屋でゲームをしていた。

画面の上から、赤い物や青い物が落ちてくる。婆さんに聞くと、『ドクターマリオ』というゲームらしい。

当時の俺は、ゲーム機に触ったこともなかったので、婆さんが手に持つコントローラーの操作に合わせて、画面の色とりどりの物体が動くのが不思議でたまらなかった。

しかも聞くところによると、ゲームのソフトはこの1本しか持っていないという話で、それにもかかわらず何年何年も、この『ドクターマリオ』だけをプレイしているそうだ。

 

「……」

「……どうかしたんね?」

 

物珍しそうに画面を見つめる俺に、婆さんが声をかけてきた。

 

「……」

「……」

「やってみるか?」

 

その問いかけに、はち切れんばかりの大声で「うん!」と答える。

 

………

 

その後しばらくして、いつものあの部屋に、婆さんは姿を見せなくなった。

 

少し不思議に思ったが、俺の中では「ドクターマリオが遊べなくなっちゃったなぁ……」という気持ちだけが、心の大部分を占めていた。

 

それから一度も会っていない。

トイレで尻を拭くと高確率で尻穴を痛める。

外出先のトイレとかだと、安い紙を使っているせいか特にダメージが大きい。ウォシュレットが付いてればダメージをほぼ0に出来るけど、駅のトイレとかにはなかなか付いてない。

あと家にもウォシュレットがないのでサニーナを使うしかない。

助けて。

人生の終わり

「おつかれ~」という課長の声と共に、ドッと疲れが押し寄せてきた。俺は椅子の背もたれに全体重を預ける勢いで、上体を仰け反らせた。ここのところ働きづめで、自分が疲れているということすら自覚できなかったように思う。毎日毎日遅い時間に帰っては「今度休みになったら洗濯しよう…」と思ってから1ヶ月経過した布団に倒れ込む。皮脂の臭いを鼻いっぱいに吸い込むと、次に目を開けた時にはチュンチュンとスズメの声が聞こえてくる。人間、長い時間働いていると頭がおかしくなって、何連勤でも働けるようになるものだということを、こうやって仕事を始めてから知った。乾いた笑い。

それはそうと、今日は仕事納め。ようやくこの生活から、ちょっとの間解放される日だった。さて、家に帰ってから明日の予定を考えてみると、驚くほど何も無いことに気が付いた。俺の生活は仕事に支配されてしまっていたのだ。仕事以外の予定を想像できない。文字通り、『想像できない』のである。

 

「………」

 

買った時の3分の1ほどの薄さになった掛け布団に頭を預ける。そのまましばらく天井を見ていたら、急に実家の家族の事を思い出した。4人の顔が蛍光灯の光の中にぼやけて見える。そういえば、ここのところ忙しくて、家族の事など完全に忘れてしまっていた。

 

家族に会いに行こう。そう思った。

 

――――――――

 

新宿から特急かいじに乗ってウトウトしていると、目的地である大月駅(山梨県)に到着したようだった。

久しぶりに来た大月駅は、俺が高校の頃に見た景色とは様変わりしていた。駅舎はそうでもないが、一歩駅を出ると綺麗なロータリーが出現していた。昔はただただ狭苦しい車道が一本あっただけで、駅から出てくる学生やらなんやらを待つ送迎の車が、ごちゃごちゃと立ち往生するような場所だった。今になって周りを見てみると、立ち並んでいた汚い建物が取り壊され、車の出入りもスムーズな、スッキリとした広場になっている。こうやって何もかも変わっていくんだろうな、とか思ったりした。

 

俺が大月駅で降りたのには理由があった。

 

母親に「帰省する」という連絡を入れたら、「その日だったら、大月の近くまで行く用事があるね。車で家まで乗っけてくよ」と言われた。実家からかなり離れた位置にある大月駅で降りたのも、そのためである。俺は自動販売機で120円の缶コーヒーを買い、ちびちびと飲みながら迎えを待つことにする。息が白い。

駅舎の壁に背中を預けていると、ポケットに入れていた携帯が鳴った。慌てて取り出した俺は、その着信相手見て驚いた。

弟だった。

俺は弟のことを思い出した。中学校から俺と同じように不登校になり、高校をなんとか出た後に地元の大学に入った。不登校になり始めの頃からどんどん口数が減っていき、大学に入学する頃には1日に一言二言だけ喋るだけになってしまった。

そんな弟から電話があるなんて……。

「……はい、もしもし」

俺は何故か恐る恐る電話に出る。

「あ、もしもし、お兄ちゃん?」

え?

「あ?」

「今どこにいるの? 駅前?」

「おっ……」

ダメだ、言葉が出てこない。何年かぶりに弟に『お兄ちゃん』とか呼ばれて意識が飛んでしまっていた。確かに昔は俺のことをお兄ちゃんって呼んでたな、そういえば。気持ちを落ち着かせる。

「あ、うん、駅前の自販機の近くにいるから……」

「じゃあそこまで行くよ」

言って電話は切れた。

「……」

なんか、上京する前に話した弟の様子と全然違った。あの猫背でぼそぼそ喋るような雰囲気じゃなかった。何かあったのだろうか……。

まあ、車の中で聞けばいいよな。

 

――――――――

 

どうやら弟は、大学に入学した後に知り合った女の子と付き合い始めたらしい。

「大学のクラスで飲み会があって。その時に彼女と連絡先を交換したんだよね」

俺はその話を聞いて、ただ目を丸くすることしかできなかった。大学に入学する前の弟を知っている身からすれば、そもそも日常生活を送ることさえ困難するんじゃないか、という状態だったからだ。

「彼女の方から積極的に連絡を取ってきて……それから色んな所を連れ回されたりで大変だったんだよ」

そう言ったわりには、弟の顔に一切の影は無かった。

 

いつの間に乗れるようになっていたのか、弟の運転する車の中で俺はその『彼女』の写真を見せてもらった。快活で、笑顔の可愛い女の子だった。

それから家に帰る道すがら、俺は弟の彼女の話を、一生マメ鉄砲を喰らい続けた鳩みたいな顔で聞いていた。というか、弟とこんなに話すのは何年ぶりか分からない。少なくとも、上京してからも含めて10年間はまともに話していなかったな、と反芻する。今の弟はまだ『元気でハキハキ』とはいかないが、俺との会話が普通に成立するようになっていた。

 

その時に気がついた。『彼女』の存在が、弟にとって『欠けていた』部分だったのだ。外界との接点。現実との橋渡し。関係の仲介役。昔は、それが欠けていたんだな。俺がついに出来なかった『役目』……。

 

「……」

「どうしたの?」

 

そう思ったら、俺は目頭が熱くなってきた。『良かったね』というありきたりな言葉だけでは言い表せない、何か複雑な感情が湧いてきて、それが抑えきれなくなっていた。

 

「なんでもないよ……」

 

俺は、車窓の外、雪の積もる畑に視線を移した。

もうすぐ家に着きそうだった。

 

――――――――

 

ガラガラと建て付けの悪い玄関の戸を滑らせると、家の奥の方から母親が顔を出した。少し顔の皺が増えたかもしれない。

 

「久しぶりだねぇ~、寒かったでしょ! コタツに入んなよ!」

 

そう言うと、俺を居間に押し込んだ。

そこでは父と姉が掘り炬燵に足を突っ込みながら、テレビを見ている最中だった。

「おお○○! 久しぶりじゃんか!」と父。

俺はハハ、と若干の気恥ずかしさを覚えながら返事をする。何年かぶりの実家で、何か後ろめたさを感じてしまう。

「○○、おかえり」と、姉も声をかけてくる。

「ただいま」と答えると、姉は笑顔を返してくれた。

姉は、昔よりは少し落ち着きが出て、端からは『普通の人』に見えた。子供の頃は色々な理不尽を感じるような出来事ばかりだったのだが、今では『普通の家族』になっていた。

それもこれも、”医学の進歩”のお陰なのだろうか。

 

炬燵の空いている席に着くと、3辺は埋まってしまったので、弟が空いたところに座る。

「おい○○、そこに座ってたらテレビが見えないだろ。もうちょっと避けろ」

左右に頭を動かしながら、父が俺に言う。ちょうど俺の背後にテレビがあったので、邪魔になってしまったらしい。俺は「はいはい」と言って30cmほどずれた位置に座った。座る位置が決まったところで、また父が口を開いた。

「どうだ? 仕事は順調か?」

優しいというか、しみじみといった口調である。

「まぁ……忙しいけど、ちゃんとやっているよ」

俺は苦笑いで返す。

父親は、数年ほど前に定年を迎え、後は退職金と土地収入でこの家と家族を養っていた。最近まで『もう仕事をしなくても良くなったからな!』と、同じく退職した知り合い達と一緒に、宴会に、旅行に、と第二の人生をエンジョイしていた。しかし長年の偏食とヘビースモーカーが祟ったのか、宴会帰りのエレベーターの中で倒れたところを救急車で運ばれてしまった。医者の話によると、もう少しで死ぬところだったらしい。それからはタバコも辞め、母親が作る健康的な料理で毎日暮らしている。健康にはなったのかもしれないが、昔あったような、ある種のエネルギッシュな印象は無くなり、『お茶』と『縁側』が似合うような老人になってしまった。

「たまには帰ってくるんだぞ。お母さんも心配してるから……」

すっかり白くなってしまった髪の毛を撫でながら、声のトーンをひとつ落として俺に言う。

「……そうだね」

守れそうもないな……と内心思いながら、俺は口角の片側だけを吊り上げた。

 

――――――――

 

「ふぅ~~~~~」

 

俺は湯船に肩まで浸かった。

足の指が少し痺れている。さっきまで冷えていたから、そのせいだろう。

 

夕飯の後、しばらくの間テレビで紅白歌合戦を見ていたと思ったら、知らぬ間に日付が変わりそうなほどの時間までダラダラと過ごしてしまったらしい。廊下から顔を出してきた母親から、

「早く風呂に入んなさい! 他の人はみんな入ったよ!」

と急かされてしまった。頭にタオルを巻いて、身体からはホカホカと湯気が立っている。さっきまで風呂に入っていたらしい。周りを見ると、いつの間に入ったのか、父も姉も弟も、みんなパジャマ姿だった。東京にいる時には、日付が変わってからシャワーで済ませる事が多かったので、その習慣が染みついてしまっていた。今は実家に帰ってきたのだから、そのルールに合わせなければならない。俺は渋々といった態度で、着替えとタオルを持って風呂場に向かう。だけど、こういう事を言われるのもなんだか懐かしい気分で、ちょっとニヤついてしまった。一人暮らしが長すぎたのだろうか。

 

足の指や手の先も、だんだんと湯の温度に慣れてきて、心地の良い暖かさが身体の中に伝わってくる。

ふと横を向くと、曇った風呂場の窓から隣の家の光が見えた。昔から家族ぐるみで仲が良かった、高村さんの家だろう。

 

高村さん家も、今日は家族が集まって賑やかなのだろうか。

 

俺は透明な湯を両手のひらに掬い、顔に叩きつけた。

熱いが、冷えた頭にはこれが気持ち良い。

 

それから家族の事を考えた。

 

弟、母、父、姉。

 

ちゃんと家族だった。

 

ちゃんとした家族。

 

これが夢じゃなければ、どれだけ良かっただろう。

 

もうすぐ目が覚める。

 

鐘の音が遠くで聞こえた。

 

 

 

逃走

俺が所属する九州の事業所内で大きい仕事があり、東京の本社の方から応援として、30代後半くらいの係長がしばらく九州に滞在することになった。

 

広島弁を話す彼は、とにかく仕事に一生を捧げているような人間であった。すぐに俺は圧倒されてしまった。仕事の為ならいくらでも残業できるし、その後の飲み会でも2次会・3次会は当たり前、翌日が朝8時出勤だとしても午前4時まで店で酒を飲んでいる。かと思えば翌日は7時30分には出勤してきて、涼しい顔をしつつまたバリバリと仕事をこなすのだった。

そんな感じで日々は過ぎ、大きな仕事も一段落つき、職場の人間みんなで飲み会をしようという話になった。

あとはいつもの流れで1次会……2次会……と進んでいき、最初の頃は大勢いた参加者も、次第に少なくなっていった。

 

2次会終了後、カバンを背負いながら「さ、俺も帰ろうかな」と気持ちを整えていたら、後ろから当時の俺の上司が肩を掴んできた。

上司の笑顔。

「この後さ、川内さん(応援で来ている係長)とサシで飲みに行くんだけど、もちろんお前も来るよな?」

「え?」

絶対に長くなって帰れなくなる流れじゃないか……?

「おい、にしやん(西原。俺の上司の名前です)。後輩の教育がなっとらんなぁ? こういう時は『はい! おともします!』って元気に返事するもんだろ? どうなってんだ? お前の後輩は」

「ははは笑、すんません。ちゃんと後で言い聞かせますんで!」

え~~~……

川内さんは俺の方を向く。「で、お前はここで『どう答えればいい』んだ?」

「………………」

 

俺は目を瞑って祈る。

 

「…………行きます」

 

どうか無事でありますように……。

 

 

――――――――

 

 

「……にしやん、店はまだか?」

「もうちょっとですよ川内さん。ライオンの銅像が目印ですから」

2人は肩を並べながら、豚骨の臭いが漂う夜の街を闊歩している。

この2人が仲の良いのには理由があった。歳が30代後半と近いのもあるのだが、数年前に本社で一緒に働いた経験があり、それに加えてどちらも酒と酒の席が大好物だったのである。仕事がある日もない日も関係なしに、2人して何軒も居酒屋をハシゴしていたらしい。

俺が1番苦手なタイプだった。

 

「着きましたよ! ここの2階です!」

「ほぉ~、確かにライオンの像がおるわ笑」

川内さんは像をペシペシと叩く。

「ここの3階です」

西原さんがエレベーターに誘導する。

 

クラブやスナックが所狭しと入居するビル。コンクリート造りのマンションを思わせる通路に、小さく看板が掲げられた店が並んでいる。こういったビルによくある形で、店の中の様子は一切分からない。聞こえてくるのは、古くさい演歌?歌謡曲?を男性客が熱唱するのが小さく響く音だけだけである。

 

通路を歩いていくと、どうやら目当ての店に着いたようだった。まず店内に入るのは西原さん。店員に、席が空いてるかどうか、女の子は何人付けられるかどうかを聞いているようだった。俺は店の看板に目を向ける。

 

『國』

 

「くに」か……?と思ったら、下に「○キ」と書いてあった。由来は見当もつかなかった。(一応伏せます)

 

「川内さん! 開いてるみたいなんでどうぞ!」

中から西原さんの声が聞こえる。大股で入っていく川内さんの後ろで、俺は恐る恐る入店する。

 

「いらっしゃいませ~」

ママとおぼしき年齢の女性が挨拶する。俺達は奥のボックス席に案内されるらしい。店内は12畳くらいの広さだった。

俺達が全員着席すると、女の子が来て、飲み物は何にしますか?と聞いてきた。上司の目もあるので、さすがに『ウーロン茶!!』とは言えず、焼酎の水割りを頼む。個人的にビールよりはマシである。

 

飲み物が出そろうと、1人に1人づつ、女の子が着いた。合計3人。

1人1人眺めていると、奇妙な違和感があった。

(全員、かなり可愛くないか……?)

そう、さっきの飲み物の注文を受けに来た女の子からして、全員の顔面偏差値がかなり高いことに気が付いた。普通、こういう店では1人ぐらいは「アタシは顔じゃなくて喋りが本業だから!」みたいな、救えない女の子がいるハズなのだが……。

 

「名刺です、よろしくお願いしますぅ」

 

そういって隣に着いた女の子から名刺を渡される。それを見ると、

 

『会員制クラブ』

 

(………?)

 

 

(………!)

 

ビビった。道理で女の子のレベルが高いハズである。

こういう店の中では一番料金設定が高い『クラブ』な上に、ご丁寧に『会員制』という文字まで付いている。

 

「(ちょ……西原さん! 俺、そんなにお金持ってないですよ!)」

 

俺はたまらず、西原さんに小声で話しかける。どんな金額を請求されるか分かったもんじゃなかった。

 

「(バカかお前は……川内さんの奢りだよ、奢り! それに、そんなに金額張るわけじゃないから!)」

 

西原さんは半笑いで答える。

いいのか……?

川内さんの財布の中身がどうなっているかは分からないけど、少なくとも、無事では済まなさそうである。

とはいえ、俺は「入っちゃったもんだし、しょうがないか……」みたいな気持ちに切り替えることにした。考えても仕方がない……考えても……。

 

 

――――――――

 

 

元々酒が好きというわけでは無かったので、焼酎の水割りは、どこの居酒屋にもあるような味だった。

会員制クラブだからといって、高いお酒が出る訳ではないのかもしれない。

 

俺の隣に座った女の子の顔は、今では全然思い出せない。

確かに可愛かったという記憶はある。でも、こういう店の女の子はみんな同じようなメイク、服装をしている。

おまけに女の子の顔を今の今までじっくり見たことが無かったので、顔を覚えることができない。白人が、日本人と中国人と韓国人の見分けがつかないみたいに……。

 

「○○さんはぁ……趣味とかってあるんですか?」

「……趣味」

 

ツイッターです!!!!!)とか言えるわけもないので、適当に「漫画を読むことですかね……」とか言って誤魔化す。

 

「へぇ~~~~どんな漫画ですか?」

「………」

 

来た来た……。

 

「あ……あ……」

「?」

 

俺は今読んでいる漫画の中で、一番無難そうなものを頭の中で探す。

気持ち悪いオタクが好きそうな漫画しか読んでないから、こういう時に苦労する。

隣の席を見ると、西原さんと川内さんが、お互いのことを冗談めかして貶し合い、女の子2人もそれに合わせて「えぇ~そうなんですかぁ~笑」「おかしぃ~~笑」と手を叩いて笑っている。

 

「え~~~~~~~と」

「……?」

「こ……『聲の形』……ですかねぇ」

「え? なんですか、それ」

 

嘘は付けないので、本当に今読んでいる漫画の中で選んだ。

1、2巻しか読んでいない漫画や、内容を聞きかじっただけの漫画を出すと、墓穴を掘ることになる。オタクなので、現状出ている全巻を読んだ漫画を話題に出さないと気が済まないのである。

 

「え~~……耳が聞こえない女の子が出てきて、それがなんか色々ある漫画なんですよ」

 

その割には内容を伝えるのが下手だった。

あまりに詳細に語ってしまうと『こいつオタクか?』と勘ぐられてしまう。それを怖れた結果だ。

オタクは気持ち悪いものなんだから、そういった存在であることを隠していたい。だけども、好きなものは『それ』しかないので、それについて喋るしかない。精神に負担がかかっていく。

 

「へぇ~~……あんまり面白くなさそうですね」

「………はは」

 

苦しかった。

 

 

――――――――

 

 

そんなこんなで一時間くらい居座った後、店のママから『そろそろ時間ですよ』と伝えられた。

 

「あ~~なんか飲み足りんわ……」

「そうですねぇ~~、もう一軒、行きますか!?」

 

川内さんと西原さんはそんなことを話している。話を聞いていると、どうやら俺もまだ連れ回されるらしい。

腕時計は1時を回っている。

ママがお会計の紙を持ってきてくれたが、真っ先に川内さんが受け取ったので値段は見えなかった。

俺は「いくらですかね?」と言いながら、財布からお金を出す『フリ』をする。この『フリ』が重要で、実際に払う気はサラサラなくてもそういった仕草をしなければ、後で「お前なぁ」から始まる説教を西原さんから受ける事になる。飲み会での【作法】だった。

当然、俺は押しとどめられ、川内さんが全額払うことになった。酔って気が大きくなっているのか、気前の良い払いっぷりである。

 

「なぁ、かほちゃん(仮名)」

「はい?」

 

会計を済ませて椅子に腰掛ける川内さんは、さっきまで自分に付いていた女の子に声をかける。

 

「この後、付き合ってくれるか?」

「え~~~~~~……いいですよ」

 

いいのか?

 

と思ったけど、こういうことは割とあるらしい。俺は女の子を店の外に連れ出すということ自体、異常事態に感じていたのだが、【アフター】といって、プライベートで飲み屋に連れて行ったりという行為ができるのである。もちろん、合意があってのことだが……。

俺には一生出来ないな、と思った。

 

かほちゃん(仮名)は店の奥に消えていき、戻ってきた時にはジーパンにフリル付きのブラウスみたいな服装で出てきた。

ドレス姿ではないクラブの女の子を初めて見たのだが、顔は可愛いけど、普通にそこらに居そうな感じだった。

今まで駅とかですれちがってきた女の子も、夜になるとこういう仕事で酒臭いオッサンと話しているんだ、と思ったら悲しくなってしまった。

なんで悲しいんだろ。

 

そんなことを考えながら店を出た。

 

 

――――――――

 

 

「なんかすごいな、これ」

 

エレベーターを待つ途中、川内さんが周りを見渡しながら言う。

来る時には全く気づかなかったのだが、見回してみると周囲が異様な雰囲気に包まれていた。

 

というのも、一切知らない婆さんの顔がバカデカく印刷された昇り旗やポスターといった類が、壁という壁に貼られていた。

その1枚に目を通してみると、

 

【HAPPY BIRTHDAY】

 

という文字が書いてあった。

 

「ああ、それですか」

 

かほちゃん(仮名)が、呆れたような顔をして答えた。

 

「今日がですね、『ラン○ヴー』のママの誕生日なんですよ……あのババアが……趣味悪いですよね、あはは」

 

どうやら、このビルのどこかの店のママが今日で誕生日を迎えていて、それを祝してパーティーやらなにやらが行われているらしかった。

 

「裏にヤクザがいるらしくて……それで誰も逆らえないんですよ。この前も、ウチの店の女の子が喧嘩を売られて大変だったんです。噂だと、以前あのママと言い争いをした店のママが監禁されたとか……」

「ふ~ん、いまどき小倉にもそんなん居るんやね。広島でも見かけなくなったのにな」

川内さんは、意外とあっさりとした反応を見せただけだった。

 

俺はというと『住んでいる街の近くに、こんなところがあったのかよ……』と思い、戦々恐々状態である。ドラマかよ。

 

『ピンポーン』

 

エレベーターが到着した。

 

ガーーー。

 

扉が開く。

 

すると

 

「!?」

 

「………」

 

ポスターに印刷されている顔が目の前にいた。

 

「え?」

 

「どけや」

 

「あ、」

 

「どけ言うちょるやろガキが!!!!!」

 

婆さんが凄い剣幕で怒鳴ってきた。

 

「おわーーー!」

 

ビックリして後ずさる俺。

 

その婆さんは、真っ赤な和服を着てエレベーターの真ん中に立ち、左右に店の人間と思われるドレス姿の女の子を侍らせている。異様な光景だった。

 

「あ……?」

 

尻餅をつきそうな勢いの俺と対照的に、一切微動だにしていない人間がいた。

 

川内さんである。

 

「なんやガキ」

婆さんが川内さんを睨み付ける。

 

「ガキ?」

川内さんは、スーツのズボンのポケットに手を突っ込みながら睨み返す。

 

「退くのはお前やろ、ババア」

「あ?」

 

婆さんの顔がみるみる赤くなっていく。

 

「ちょ……ちょっと、ダメですよ川内さん」

西原さんが川内さんの肩を掴む。

「す、すいません、いま階段で降りますから」

かほちゃん(仮名)も、川内さんの腕を掴んで階段に誘導する。

 

すると婆さんの顔が、かほちゃん(仮名)の方を向いた。

「お前、國んとこの女か? 客の躾はちゃんとしとけや!!」

怒鳴る婆さん。

すると、

 

「躾がなってないのはお前やないんか、ババア」

 

川内さんが、腕を引かれながら言い放った。

これがいけなかった。

 

「殺……殺●▲□×♨ーーーーーー!!!!!!!!!」

 

婆さんが、持っていた傘を振り上げながら、エレベーターから駆け出てきた。

 

「ヤバイですってヤバイですって!!」

 

俺と西原さんと女の子は、川内さんを引っ張りながら階段を下りていく。

知らない間に雨が降っていたのか、道路はネオンに照らされてキラキラと光っていた。

あちこちに出来る水たまりを気にせず、走って逃げる。

 

「逃げろ逃げろ!!!」

 

西原さんが叫ぶ。

 

後ろを見ると、婆さんがまだ追ってきていた。

 

「クソ國の女が、殺してやる!!!! 待てやーーーーー!!!!!」

 

雑踏の中に、ひときわ甲高い声が響く。

川内さんはニヤニヤ笑いながら、俺達に手を引かれるままになっていた。

 

 

――――――――

 

 

「川内さん、アレはマズかったですよ」

「いや、あのババアが喧嘩売ってきたのが悪いだろ」

 

追尾を振り払って、少し離れた所にあるオカマバーにいる。

この店は、かほちゃん(仮名)の知り合いの店らしかった。店内には俺達以外に誰もいない。

 

「頭がおかしいんですよ、あのママ。関わらない方がいいですよ」

かほちゃん(仮名)は諭すような口調だった。

 

俺はというと『これ本当に現実か?』という気持ちだった。ドラマじゃん。

 

「とりあえず飲み直しですね」

西原さんは言う。

 

オカマバーのマスターが「何にします?」と俺に聞いてきた。

 

「……ウーロン茶で」

 

もう酒を飲む気にはなれなかった。

 

 

 

おわり