昔から言葉に詰まることが多くて、よく同級生からからかわれていた。

要するに「どもる」わけ。

 

俺の場合は、今思えば特に『あ行』とか『か行』あたりで頻繁に発生していて、

 

「あのね」

 

と言いたくても、

 

「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、………」

 

みたいな感じで、一生「のね」が出てこない感じになる。

解決方法としては、一回言葉を出すのを止めるしかない。

つまり一旦黙って、最初からゆっくり言い直すことしか軌道修正の方法がないわけ。

 

「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ(やばい!また始まった!)………………スゥー………………あのね、」

 

といった具合。

 

今でも覚えているのが、小学生の頃の話だ。

同級生の前で自分の名前を言うとき、自分の名前が『か行』なので、

「○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、○、…………」

と『自分の名前』を言うときにどもってしまうことが頻繁にあって、そこから『あだ名』が、

 

『○、○、○○』(た、た、太郎みたいな感じ)

 

になってしまった、という『事故』があった。

 

それ以外にも、誰かにものを言うときに

「あ、あ、あのね…」

と言ってしまうと、相手がそれを真似して

「あ、あ、あのね(笑)」

とオウム返しで返してくるということも、数え切れないくらい経験した。

「しゃべり方が気持ち悪い」

と言われて、渡部くんから殴られたりしたこともあった。

 

↑↑渡部くん登場回

 

そういう状況は学校の担任も分かっていたようで、学期末に渡される通信簿の父母へのコメントに、

『「どもり」があります。落ち着いて話すように心がけさせてください』

みたいなことを書かれたりした。

 

結局、自分の意志とは関係なく出てくるんだから、どうしようもないんだけど。

 

そういった『どもり癖』は中学生くらいまで続いたと思う。

その頃はもう人と話す事自体が怖くなってしまっていて、どもりとはまた別の問題が発生していたんだけどね。

 

今ではもうだいぶ良くなったけど、いまだに人と話すときには、

『話す内容よりも、どもらないように丁寧に喋らないといけない』

という気持ちが強く出て、自分で何を喋っているのかわからなくなる時がある。

 

皆さんこういう経験ってありますか?

ご報告

フェラチオをした女の子の口の横に、抜けた陰毛(ちん毛)が付いているって描写が好きなんだけど、最近はそういう表現もエロ絵界に広まってきたのか、いろんな絵でこの描写を見かけるようになった。

 

でも待ってほしい。

 

エロいからといって、安直に口の横に抜け陰毛を描いていないか?

 

こういう下品な描写は『ここぞ』という時に出るから良いのであって、定食屋で出てくるお新香のようなものではない。

それこそ、中華料理屋で食後のサービスで出てくる口直しの甘いコーヒーのようなものでなければ、と思う。

 

おやつ感覚じゃないんだよ、抜け陰毛はさ。

 

それこそあまりに行き過ぎた絵では、男側がパイパンなのにも関わらず、女の子の口の横に陰毛が付いていて、

「いや、そのチン毛は一体どこから出てきたんだよ」

と、誰もいない部屋の中で、固くなったちんちんを握りながら叫んでしまった。

 

みなさんはこんな大人(オトナ)にならないようにしてください。

 

ちなみに最近のマイブームは、長いチンポに口紅で女の子のキスマークが付きまくっていて、さらにはディープスロートをした際に付いたであろう輪っかのような跡がチンポの根本にうっすらと見えている……という描写です。

 

以上。

 

 

 

 

 

(追伸 『ルージュリング』っていうらしいです)

Do Or Die

『いや、遠慮します』

そう言ったのが最後で、全ての””チャンス””を自分の手で閉ざしてしまった感じがある。

 

 

その日は金曜日の夕方、いつも通りグラウンドでの練習を終えて、校舎に戻る最中だった。

 

俺は高校時代は吹奏楽部に所属していたのだが、音楽室で合同演奏を行う前に、楽器のメンテナンスや苦手なパートの練習も兼ねて、学校のグラウンドで各々が楽器を吹くという時間があった。

吹奏楽部では、入部する時の成り行きでトロンボーンを吹いていて、その日も読めない楽譜に必死で数字を振りながら、それが間違っていないか耳で確認する作業をしていた。

これはどういうことかというと、トロンボーンという楽器の、『管の長さで音程を調整する』という特徴によるものだ。

レの位置だとこれくらい管(「スライド管」という)を伸ばす、ファの位置だとこれくらいという具合で、だいたいの伸ばす位置が決まっている。

この位置を数字に置き換えて、楽譜の音符ごとにその数字を打っていくのである。

なので、自分の楽譜には音符ごとに数字が書き込まれて暗号みたいになっていた。

楽譜が読めるようになっていればこのような作業は必要ないのだが……。

 

というわけで、今日もその作業だけで練習時間を丸々使ってしまった。

 

進展したのかしてないのか、よくわからないまま校舎に戻っていたのだが、その時俺の前を歩いていた圭子先輩(仮名)が俺に声をかけてきた。

 

「〇〇くん、ちょっといい?」

「え、はい」

 

圭子先輩は俺の1個上の学年の先輩で、俺と同じでトロンボーンを担当していた。

当然俺よりも上手いし、実を言うと俺がトロンボーンを吹けるようになったのも、圭子先輩に練習を見てもらったからだ。

小さい吹奏楽部だったので、トロンボーンの担当は俺を含めて4人しかおらず、うち2人は3年生だった。そこで半ば自動的に一学年上の圭子先輩が俺の面倒を見ることになったのだった。

 

俺と圭子先輩が向き合っているのを横目に、他の吹奏楽部員が通り過ぎていく。

 

「今日、金曜日だから明後日の日曜日は休みだよね?」

「はい」

「なにか予定ある?」

「え……」

 

どうゆうことなんだろう。

 

「いや、特にないですけど……」

「じゃあさ」

 

ドキドキ

 

「日曜日にカラオケにでも行かない?」

「えっ!カラオケですか」

 

マジか……

 

というのも、生まれて一度も『カラオケ』というものに行ったことがなかったからだ。

俺の実家はかなりの田舎で、家の周りには娯楽施設と呼べるものはほとんどない。小学校も中学校も歩きで通える位置にあり、その範囲でしか生活していなかった。

高校はそうもいかず、少し離れた街の中にあったため、周囲はそこそこ栄えていた。もちろんカラオケもある。

 

でも、自分がまさか「そこ」に誘われるとは思っていなかった。

 

縁のない場所。

俺とは遠い場所。

 

「……」

「どう?」

 

いや、行くとか以前に……

 

「あの、」

「うん」

「2人で、ですか?」

 

今思えば、めちゃくちゃ気持ち悪い質問だったと思う。

おこがましいだろ。お前は。

 

「え……」

「……」

 

そう言うと先輩は少し意外そうな顔をして。

 

「そんなわけないよ、他のトロンボーン組の人たちと一緒だよ」

「あ…………そうなんですか」

 

俺はその時点で自分が失礼な質問をしてしまったと気づいた。

一緒に行く人間で返事を決めるのか、と。

 

そういうことを考えると、俺は「人付き合いに慣れていないな」と、嫌でも感じてしまう。

 

なんだか頭がこんがらがってきた。

 

「で、行く?行かない?」

「あ、え~~~~と、え~~~~~~~~そうですね」

 

変な質問をしてしまったのもあって、嫌な汗も出てきた。

 

「……」

「……」

 

………

 

「いや、遠慮します」

「……………わかった。けど、どうして?嫌?」

「いや、あの」

 

………

 

「自分、あの、歌も、分からないし、歌ったことないし……上手くないし……」

「……」

「迷惑、かけるので……」

「……わかった」

 

………

 

 

────────

 

 

俺が中学時代に不登校だったことは吹奏楽部のほぼ全員が知っている。

吹奏楽部の顧問の先生が俺が入部する時に

 

「○○は中学時代、ちょっと周りと馴染めてなかったみたいで苦労したんだ」

「仲良くしてやってくれ」

 

そう部員に言っていたそうで、俺にもなんとなく伝わってきた。

 

俺が吹奏楽部自体に入部することになったのも、顧問の先生が入学したばかりの俺を見つけて「俺が面倒を見る」と、半ば強制的に連れ込まれたからだった。

 

でも、そうやって、そういう環境の中で部活をやっていても、結局は馴染めないんだよな。

 

環境というより、

 

俺だから。俺が。

 

カラオケを断ったのも、常に人に対して『引け目』みたいなのを感じていたからだと思う。

俺がいてもみんなが楽しめない、とか。

みんなが知っているような歌が歌えないから、とか。

迷惑だから、とか。

 

でもそういうのは、根性なしの言い訳なんだ。

 

本当は恵まれていたのに。

 

機会に。

 

 

 

………

 

 

 

2年になった俺は、新入生が入ってくるよりも早く、

逃げるようにまた学校を休むようになった。

 

 

嫌になったから。

 

 

全部が。

 

 

 

 

エンディングまで、泣くんじゃない。

父親がトイレで本を読む種類の人間だったので、トイレに本棚があった。

 

トイレ本棚には、父親が買ってきた月刊誌の「ユリイカ」とか、いがらしみきおの「ネ暗トピア」とか、ジャンルを問わずに色々な本が置かれている。

 

ここはINPUTとOUTPUTを同時に実行できる空間、ってわけ。

 

 

(笑い)

 

 

父親がトイレに入ったら当然の如く1時間くらい出てこないので、今まさにウンチが漏れそうな俺は何もかもを諦めるしかない。

 

そんな感じのトイレの中で出したり入れたりするので、当然俺も置かれている本を読むようになる。

 

さて、そうして読んだものの中に、糸井重里の「85点の言葉─知的で口べたなあなたに」という本があった。

 

 

愛しさと、切なさと、糸井重里

 

 

この本は糸井重里が『週刊文春』誌上で行っていた読者投稿型の連載「萬流コピー塾」の抜粋本だ。

糸井重里扮する「家元」により毎回出題されるテーマに沿って、読者がキャッチコピーを考えるというもので、雰囲気としてはTwitterで日夜行われているくだらない大喜利に近い。

この本自体の出版は1989年。俺より1歳年上ということになる。

 

この本が印象に残っているのは、読者投稿云々というよりも、この本のために書き下ろされた論考である「特別講座」の部分が大きい。

 

手元には無いので、思い出すために本の見出しをインターネットで調べていたら、その名前を見つけた。

 

『言葉のうつり香』

 

内容としては「言葉には、その言葉自体に匂いがある」というもの。

 

例えば『新鮮』という言葉には、「魚」という文字が入っているため、キャッチコピーに『新鮮なフルーツ』という言葉を使ったら、瑞々しさや華やかな香りを表現したいであろう「フルーツ」に、魚の『生臭さ』が移ってしまうのだ、という。

 

へえ~って感じ。

 

へぇ~って。

 

だとしたら、エロ漫画で「新鮮な精○(ザ○メン)♥」みたいなセリフがあったら○液(ザーメ○)に魚みたいな臭いの印象がついて嫌………ではないな。

 

かなりのシナジーを感じてしまうな。

 

むしろ良い表現かもな。

 

 

 

(笑い)

 

 

 

時計は午前3時33分を指している。

 

 

 

ああ。

 

 

 

もうダメかも。

 

 

 

 

 

<終>