昔から地元のことが嫌いで仕方がなかった。
Twitterでは「○○県民にしか分からないもの!」みたいな感じで、ご当地グルメだったり限られた地域にしか展開していないスーパーだったりが、何万リツイートされたりして盛り上がったりする。
正直本当に気持ち悪い。
みんなそんなに自分の住んでいた地域が好きなわけ?
「地元が最高だ!」
という人は例外なく、充実した子供時代を送っている。
小学校では友達と一緒にサッカーをし、中学校に上がってからはちょっと悪ぶれて仲間と一緒に校舎に落書きをし、高校に入学してしばらくしたら好きな女の子ができて初めてデートを経験しちゃったりなんかして……。
そういう感じの、『似たような集団の中で自分は一定の立ち位置を得ている』という経験をしている。
だから、地元に居場所がある。
だから、地元が好きなんだ。
そう結論づけました。
そんな、『地元に居場所がある人達』とはほとんど関わりなく、家でシコシコ””棒””を擦ったりボタンを押したりしていた俺からすると、そういう集団がウヨウヨいる地元っていうのは、とにかく居心地が悪くて仕方がない。
そういうのに馴染めなかった俺が悪いんだけどね。
まあ、そうやって現実から逃げてずっと家に閉じこもっていたおかげで、一生ゲーム音楽を聴いて感動したり、プレイステーションで発売された『ゼノギアス』というゲームを何周もクリアしたり、『みんなのゴルフ4』で得意なコースを22アンダーで回ったりできたわけで、それが今の俺を形作っているんだよな。
まあ、良いか悪いかで言ったら。
悪いけど。
で。
そういえば最近、実家に久しぶりに帰りました。
コロナウイルスが流行りだしてからは「うつすと悪いし……」とか理由を付けて帰っていなかったんですよね。
本当の理由は、単純に『帰るのが嫌』だったからなんだけど。
でも、さすがに3年も帰ってなかったら、何となく悪いなって気持ちがしてきました。
ちょっとね。
さて、閑散とした北九州空港から空路で羽田空港に降り立ち、会社の研修を受けた後に、『バスタ新宿』とかいう謎の施設から高速バスに揺られて山梨方面へ。
九州とか東京でこんだけ寒いんだから、実家はもっと寒いんだろうなと思って、バスに乗る前にコンビニでふわふわした手袋を買った。
最初はすし詰め状態になっていた高速バスの車内は、停車するたびにどんどん空席だらけになっていく。
そうやっていよいよ俺と運転手だけになったバスの中。
外が暗くて、今自分がどこを走っているのかわからない。
車内にある案内に、実家の最寄りのバス停が表示される。
終点近くにあるそのバス停で降りると、辺りが霧に包まれて、少し雨も降っていた。
そして、驚くほど暖かかった。
ふわふわ手袋が無駄になったな……とか思いつつ、実家がある方向に歩みを進める。
とぼとぼ歩いていると、街灯も少ない暗闇の中に、当時俺が通っていた小学校の入り口が見えてきた。
この道を通ると、いつも嫌なことを思い出す。
学校生活に馴染めなかったこととか、この門をくぐるのが嫌でずっと立ち竦んでたこととか……。
学校生活が楽しかったなら、こういう場所も淡い郷愁に浸れる場所になったのか?
まあ、そういうことを思うのも、女々しいんだろうね。
過ぎた日々は変えることができない。
実家に着いた。
この扉を開けると、年老いた父と母、生きているか死んでいるかわからない弟、未来の無い姉が待っている。
ああ……
「開けたくないなぁ……」
でも開けなきゃいけないんだろうな。
やっぱり。
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