四角い窓

「父親の職場を見に行きたいと思います」

そう先生に伝えた。

中学生の頃にあった社会科見学……つまり、職場体験というやつである。

「そうか」

先生は少し渋い顔をする。

「まぁ……できれば家族が働いてる会社じゃなくて、別の会社がいいんだけど」

「……」

「……うーん、まあ、しょうがないか。他にアテもなさそうだし」

「はい……」

 

先生が良い顔をしないのにも理由がある。

本来なら、学校の周辺にある会社へ4~5人で仕事を体験しにいくのが決まりだったからで。

でも、その頃の俺は学校を休みがちになっていて、本来参加するはずだった社会科見学に参加しなかったのだ。

 

「じゃ、そのお父さんの会社で働いてみて、レポートを提出してね」

「わかりました」

 

だから別の日に、俺だけが個別に社会科見学をすることなったのである。

先生からは「家族が働いている会社だと仕事の態度が適当になったりするから、なるべく違う会社を選んで欲しい」と言われていた。

 

でも無理じゃないか?

学校を休みがちの子供に、そんなこと言われても……。

 

「でも『映画館』なんて、珍しい職場だな……」

「……」

 

 

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「今度うちで公開する予定の映画だけど、見るか?」

 

口数の少ない父親が、そう俺に聞いてきた。

夜9時、帰りの遅い父親が遅い夕食を済ませて、居間でくつろいでいる時のことだ。

 

「……なにこれ」

 

父親から受け取ったそれは、何も書いていないVHSテープだった。

いや、背表紙に手書きで文字が書いてある。

 

『BIG FISH(ビッグ・フィッシュ)』

 

映画館で勤めている父親が、自分の劇場で公開する作品を、チェックのためにと借りてきたらしい。

 

「これ、どんな映画なの?」俺がそう聞くと。

 

「嘘つきな男の話」とだけ答えた。

 

それ以上は教えてくれなかったので、あとは映画を見ろ、ということなのだろうか。

 

VHSをデッキに入れて再生ボタンを押すと、映像が流れ出す。

チェック用の映像なのか、画面の下に黒い帯と数字がずっと表示されている。(後で知ったのだが、これはTC(タイムコード)と言うらしい)

 

静まった居間で父親と一緒にその映画を見る。

弟や母親は、早めに風呂に入って寝てしまったので、起きているのは俺と父親の2人だけだった。初めての経験だ。

 

その『BIG FISH』という映画、俺はなんでもないただの映画だと思いながら、けっこう軽い気持ちで見ていた。

ところが、序盤からクライマックスに向かっていくにつれて、これまで映画を見ていて感じたことがないような気持ちがこみ上げてきた。

 

「……」

 

泣いてしまった。なぜか。

 

今まで映画を見て泣いたことなんかなかったのに。

 

「どうだった?」

 

エンディングを迎えた後、そんな俺の状況を知ってか知らずか、父親がたずねてきた。

完全に泣いてしまっている俺は、顔を背けながら答える。

 

「まぁ……面白かったかな」

「そうか」

 

そう言うと父親は、ビデオデッキの停止ボタンを押した。

 

 

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父親が勤める映画館は甲府市にある。

俺の家からはかなり離れていて、父親は毎日1時間以上かけて車で通勤していた。

 

ブーン…

 

「……」

「……」

 

ブーン…

 

出勤の時に一緒に車に乗り込んだのだが、全く会話がない。

いつも父親は『朝起きると出勤していて』『夜寝た後に帰ってくる』存在なので、普段からほとんど会話がないのである。

 

「……」

「……」

 

結局、そのまま職場に到着した。

 

「あ、支配人。おはようございます」

「おはよう」

 

映画館の事務所みたいなところに着くと、スーツを来た若い男性が父親に挨拶をしてきた。

 

「支配人、これが息子さんですか?」

「ああ。じゃあ、俺は奥の部屋にいるから……案内してやって」

「わかりました」

 

父親に指示されていた若い男(20代後半くらい)の後ろについて、映画館の中を歩く。

 

父親が『支配人』と呼ばれていることにものすごく違和感があった。

俺は父親のことを「お父さん」と呼んでいるが、自分の父親が他人からどう呼ばれているかはまったく知らなかったからだ。

俺にとっては「お父さん」以外に考えられないのだが、一歩家から出ると全く別の存在として生きている。不思議な感覚だった。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 

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『従業員以外 立ち入り禁止』

 

こういう看板を見ると、今でも訳もなくテンションが上ってしまう。

他の人とは違う、特別な存在になれた気がする。

 

俺を案内してくれている男は、立入禁止の看板を少しずらし、その先のドアを開ける。ドアについている手すりが、何回も人が出入りしているからか、塗装が剥げて本来の金属がむき出しになっている。

ドアをくぐると目の前には上へとあがる長い階段があり、照明がそれを人がギリギリ歩けるくらいの明るさで照らしていた。

そこで働いている人だけが入る前提で作られている空間、といった感じである。

階段を昇った先には真っすぐ伸びた通路があり、その左右には部屋が何個か分かれて並んでいた。

そのうちの一室に通される。

そこは、通路よりも更に暗い部屋だった。

 

「ここが『映写室』だよ」

 

男は言うと、部屋の壁際にある機械を指差す。

 

「で、これが映写機」

 

ここから映画を投影して目の前にあるスクリーンに映し出しているらしい。

今も上映の真っ最中で、その映写機が光を照らす小さい窓から、大きなスクリーンに映画が写っているのが見えた。

どこかの映画で見たことがあるような光景だった。

 

「今はフィルムと電球で映画を流してるんだけど、来年はこの電球がLEDになるんだよ。省エネってやつだね……」

 

男は映写機を指さしながら言った。

 

「なにか質問、ある?」

 

「いえ……あの……」

 

……

 

「特に……ありません」

 

「ふーん」

 

本当に何も浮かばなかった。

今だったら何か、その場で思いついたような質問をいくつかして、後で学校に提出するレポートの足しにするだろうけど。

その時の俺は雰囲気に飲まれてしまって頭が働かなかった。

『どうして何も思いつかないんだ』という自己嫌悪感が頭をもたげてきた。

 

「……」

 

「じゃあ、ちょっと見てく?」

 

男はそういって小さい窓から見えるスクリーンを見た。

 

そのまま、しばらく映画を眺めて過ごした。

なんの映画だったかは覚えていない。

 

 

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関係者エリアから出た後は、事務所に戻ってきた。

今はその事務所の隣にある更衣室で、映画館のスタッフ用の制服に着替えている最中だ。

 

「職場体験なんだから、ちょっとは働いてもらわないと」

 

と男は言うと、何をやらされるかは分からなかったが、とりあえず制服を渡された。

 

事務所には父親もいて、見ると事務用のパソコンでソリティアをやっていた。

家にいる時も、パソコンで同じようにソリティアをやったりピンボールをやったりしていたので、別段なんとも思わなかったが、今思えば職場でそれをやるのは流石に非常識だろ、と思う。

 

そうこうしているうちに着替え終わり、男に連れられるまま事務所を出た。

 

館内のお客さんが入る場所に出て、仕事の説明を受けた。

館内はいくつかのシアターに分かれていて、それぞれのスクリーンで別の映画を上映しているらしい。その上映が始まる前にお客さんからチケットを受け取り、半券をちぎって返す。そして上映が終わる前にデカいゴミ箱を移動させて、シアターから出てくるお客さんの捨てるポップコーンやらコーラやらの空き容器をそこに入れる。ひたすらそれの繰り返しだった。

仕事自体は大したこと無い内容なのだが、どうやら映画が始まって終わるまでの間(つまりずっと)立っていないといけないらしい。

こういうお客商売は、『お客さんから見える場所にいる限りは座ってはいけない』というルールがあるらしかった。

 

家では『縦』になっている時間の方がむしろ短い俺にとって、ただひたすら苦痛だった。

 

チケットをちぎって……

ボーッとして……

ゴミ箱を移動して……

チケットをちぎって……

ゴミ箱を移動して……

チケットをちぎって……

ボーッとして……

ゴミ箱を移動して……

ちぎるチケットが無かったり……

ゴミ箱を移動しなかったり……

移動したり……

ちぎったり……

ボーッとしなかったり……

 

そうこうしている間に仕事は終わった。

正確に言うと、終わらせられた。

 

映画館自体の閉館は21時頃だったのだが、その時間まで子供の俺を働かせるわけにはいかないと言うことで、16時くらいで終了ということになった。特にこれといったトラブルもなく。平穏無事に俺の仕事体験は終わったのだった。

 

いや、もしかしたらそうこうしている間に何かあったのかもしれない。

ただ、ずーっと立っていたことからくる、ふくらはぎの痛みで全部忘れてしまった。

なので特に言うことはない。

 

強いて言うなら、お客が少なかった。

俺が大学に上がる頃に潰れてしまったくらいには。

 

 

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「お疲れ様」

「はい……。ありがとうございました」

 

事務所に戻ってきた俺に、教育係の男が労いの声をかけてくる。

部屋の中には男と、俺の父親だけだった。

父親の方を見ると、事務所の中にあるビデオデッキで何か映画を見ているようだった。

とりあえず、俺は部屋の隅で制服を着替え始める。

 

「支配人。どうですか?」

男が聞く。

父親は開口一番、

「いや、つまんねぇなコレ。なんでこんなのがウケてんだろうね」

と、何かせせら笑うような声で言う。

「まあ、いいんじゃないですか? 今のお客さんはこういうのを求めてるってことで」

男も、何か合意した風な口調で応えた。

 

どうやら、次のシーズンにスクリーンで流す映画の試写的ものをしているようだった。

映画の内容は覚えていないが、超大作映画のパート2、続編みたいなものだったと思う。

 

「ま、客の『入り』が良いからしょうがないわな」

「はは」

そう男に言いながら、父親は適当に早送りして最後まで見た後、ビデオデッキを止めた。

 

「おい、帰る準備できたか?」

俺の方を振り向き、父親は言う。

「あ、う、うん、できた」

俺の方はもうすっかり着替え終わっており、手持ち無沙汰に部屋をうろうろしている状態だった。

「じゃあ、俺は帰るから。あとよろしく頼んだぞ」

父親は男にいう。

「了解しました、支配人。……あ、あと」

ふと俺の方を向く男。

「これ、帰りに食べて」

 

 

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ブーン…

 

「………」

「………」

 

ブーン…

 

車を運転しながらタバコを吸っている。

もちろん、俺ではなく父親だ。

車にはヤニの臭いがついて、取れなくなっていた。

 

この臭いを吸うと気分が悪くなる。

タバコは嫌いだ。

 

「………」

「おい」

 

父親が俺に急に声をかけてきた。

 

「な、なに……」

「食わないのか? それ」

 

俺が手に持っているものを指差す。

 

じゃがりこ サラダ味』

 

映画館で、従業員の男から帰り際に渡されたお菓子だった。

 

「い、いや、いい、家で食べる」

「……あっそ、勝手にしろ」

「………」

 

ブーン…

 

「………」

 

ブーン…

 

食べたくないから、この臭い車の中で。

 

って……

 

言わないけどさ……

 

 

……

 

 

車が少し揺れた。